白鬚岳―東の谷出合より (Feb.15, 2004)

 どうやら僕はそれと気がつかないうちに喜劇を演じていたようである。
 サインはあったはずなのに、気がついていないのだ。いや、気がつこうとしなかったのだ。
 「そうか・・・。オレは、ドンキホーテだったのか・・・」
 潔く舞台を降りるしかないのだろうか?
 しかし、未練と言う鉤のような月が背中に突き刺さっている。降りたくはないのだ。
 でも、そうとわかってドンキホーテを演じ続けるのはこれはもう喜劇ではなく悲劇だ。
 かと言って、他にどんな役を演じられるのか?

 谷の道は雪もなく風もない。汗をかいてもちっとも体はしゃきっとしなかったし、どんよりと曇った空模様は今の僕にはふさわしい。
 明瞭な意図を持って山を登っていると言うより、何かなし崩しに山頂へぐずぐずと近づいている、そんな感じだった。
 鼻水をすすると、それ以上に顔が歪む。顔を覆って声に出して泣きたくなる衝動に駆られてしまう。

 いま僕は東の谷出合から白鬚岳へ登っているのだ。
 水場を過ぎ、稜線に出るとわずかに雪が見られた。雪と言うより氷の道だった。
 足の置き場を見つけながら登るが、急登に差し掛かってついにアイゼンを履いた。今季初めてのアイゼンである。しっかりと氷をつかんでくれる。

 小白鬚から、白鬚の尖峰が見える。雪もひざ下くらいになった。昨日のか今日のか定かではなかったが踏跡があった。
 いったん下り稜線に沿い、小ピークをひとつ越えると、見上げるほどの急登になった。
 アイゼンを利かせ、木をつかみながら登る。

 白鬚岳へは2002年の秋、中奥から登ったことがある。紅葉なら中奥からの方がいいでしょうと、円さんに案内してもらったのだ。それ以来だし、こっちから登るのは初めてのことである。
 
12:50 見覚えのある山頂に着いた。うす曇りの中、大台方面は見渡せたがぐるっと見渡すほどの気持ちの余裕はなかったようである。カメラを出したが、低温のためかシャッターが切れなかった。
 風裏に下りると三人のおじさんが昼ごはん中だった。
 僕は熱いお茶を飲んだ。御飯は少し下ってからにしよう。
 「お先に」と声をかけて今来た道を下る。先ほどの急登も案外楽に下りれた。
 小白鬚の手前の鞍部で昼ごはん。
 
 小白鬚を跨ぐと分岐は近い。神之谷への稜線伝いの道もいいらしいが、いったいどこへ出るのか定かではなかったから、登ってきた道を下ることにする。

 少し下りて一本。アイゼンを脱ぐ。
 舞台は降りない。
 ドンキホーテでもいいじゃないか。僕の今年のキーワードは「夢」なのだ。
 「夢」に忠実でいよう。

 タバコを吸っていると山頂で会った三人が下りてきた。
 水場で追いついた。
 ペットボトルに汲もうと岩の下に体を入れると頭や首筋や背中にポタポタと水滴が落ちてくる。冷たくはなかった。むしろ温ささえ感じられた。


 
 下山し吉野川に沿って走っているとタイヤがパンクした。スペアを出すと空気が抜けていた。あらら。
 保険会社に電話してレッカーに来てもらった。
 詳細は省くが、結局、30km牽引してもらう羽目になった。
 やれやれ、これもまた喜劇だった。