天川川合から弥山、八剣―青空の樹氷
 (Feb.11/12, 2005)

 2月12日、朝8時30分。ついに八剣山頂に立った。僕にも来れたのだ。
 なによりも、同行のDOPPOさん、どんさんのおかげである。まずそのことに感謝を申し上げたい。
 先週の薊の経験、ネットで読んだ記録から、かなりのラッセルを予想していたが、存外雪は締まっていた。また、好天で、風もなく暖かく感じられたことも理由に挙げてよい。
 さすがに雪はたっぷりとあり、危険箇所もいくつかあった。とくに、栃尾辻からすぐ上のp1518を巻く夏道、しっかりと雪が付いていて谷への急斜面である。踏跡さえなかった。
 DOPPOさん、どんさんはp1518へ直登しようと。僕はわかんをアイゼンに履き替え、わずか100メートルほど斜面を切ったが、時々はズボッと潜り、谷底に目が行き、怖い思いをした。その先も数メートル下り同じく急斜面のトラバースである。「こらあかんわ」。
 もう一箇所は頂仙岳を巻く道である。さいわいここには踏跡があった。ここも頂仙岳に直登し向こうへ下りるしかないと思っていたのである。はじめは緩やかな斜度ではあったがやはりところどころ肝を冷やす急傾斜もあった。
 きついけれど、巻かずに直登するほうが安全だ。

 狼平から弥山へはもはや夏道は参考程度。だいいちおおまかな記憶はかすかにあるとは言え、不確かなところもある。方向だけ間違わないように夏道に拘らず歩きやすいルートを探し、結局弥山山頂奥宮の裏に出た。このあたりのDOPPO氏のルートファインディングの確かさには脱帽である。

 おかげさまで、素晴らしい青空に立つ樹氷を見ることができた。ここまで来て初めて見られるのだ。


 この計画が持ち上がったのは約ひと月ほど前。年末年始の比較的雪の少ない時期ならばともかく、事実2001年の1月13、14日に新雪を踏んでDOPPOさんと登った。昨年は3月14日、熊渡から堅く締まった雪の中をDOPPOさん、みーとさんと日帰りで登った。けれど、2月半ばともなればもっとも雪の多い時期であり、僕にはとてもとても、できればこの計画は読まなかったことにしておきたいくらいの気分だったのである。(^O^)
 が、しかし、とりあえず雪に慣れておこうと、明神平、薊と歩いた。先日、D氏と飲む機会があり、そのときも「ま、行けるところまでね」の気分。D氏は「いや、最後まで行くで」。ここが、僕とD氏との根本的な違いである。

2月11日(金)
 朝6時、D氏と落ち合い、6時15分、金剛駅へ。どんさんと会い、出発。比較的暖かく、天川川合まで問題なく走れた。
 役場に駐車。先行のせきやんの車が見当たらない。「おや? どうしたんだろう?」
 装備を整え、8時半、「では、行きましょう」
 予報は曇り。昼頃に晴れるようである。
 陣ノ峯にも雪は付いていたが、アイゼン、わかんは必要なし。
 踏跡があるにはあったがどうも今日のではなさそうだ。
 後でわかったのだが、S氏は5時間も前に歩いているのだから、その間に自然とふたたび雪に隠れてしまっていたのである。

陣ノ峯からいったん林道と出合う

10:25 いったん林道に出合う。山道に入らずに林道を歩く。山道に向かって踏跡があったのはおそらくS氏のものだったか。
 雪はかなり深くなり、ところどころでは膝までズボッと潜ってしまう。D氏はスノーシューを履く。僕とどんさんはまだ靴のままだ。
 3mほどの崖で山道によじ登る。ここでS氏と遭遇。彼はヘッ電を点けて4時前から登っていてかなり迷った模様。あれやこれやで結局撤退せざるを得なかったようだ。
 山道では何度も足を取られるようになり、ここでワカンを履いた。




12:00 
 少し遅れて栃尾辻着。昼食。
 どんさんもここでわかん。
 さて、どこまで行けるか?
 まず左を巻いていったん平坦地に出ると夏道はp1518の右を巻く。びっしりと雪が付き谷まで急斜面である。トレースはなかった。
 DOPPOさん、どんさんはp1518へ直登すると。僕はアイゼンに履き替えとりあえず斜面を切ってみることにした。ところどころで膝上まで潜る。右は深い谷である。かなりやばい。100メートルも進むか進まないうちに、いったん数メートル急斜面を下ってさらにきつい斜度をトラバースすることになる。「とてもとても、これは無理」

p1518の稜線上にて 目も醒めるほどの雪の世界

 ちょうど真上の稜線に二人がいて、「上がって来い」と。なにやらある方向を指差して叫んでいる。アイゼンを効かせてガリガリと登ると踏跡と交差した。これもまたたぶんS氏の彷徨の跡ではないかと思われた。
 稜線に上がると目も醒めるような一面真っ白の樹氷の世界だった。
 それからは稜線を伝って向こう側へ下りた。きついけれどこっちの方が安全だ。
 雪も思ったより締まっていて、わかんもさほど潜らない。快適な雪上歩きである。
 それにしても、どんさん、D氏ともども元気なことだ。僕が常に遅れてしまう。
 
 いよいよ、頂仙岳に差し掛かる。
 ここもきついけれど登らざるを得ないのかといささかげんなりしていたが、夏道にわかんのトレースがあった。斜度も先ほどより緩やかである。
 トレースにしたがって歩き出すと、やはりところどころ緊張する箇所があった。
 頂仙岳を巻き終え平坦地で一本。
 ここまで来てようやく、何とか行けそうな気がしてきた。
 高崎横手の最高点を過ぎ、狼平へ下る。深い雪の中である。まだかまだかと思いながら歩いた。

屋根の雪は落ちていたし、風もなかったのでさほど寒さは感じなかったけれども、橋の上、沢の上流部を見ても雪の多さはご理解いただけるでしょう。

15:55 狼平小屋。
 小屋にはすでにお二人が。熊渡から登ってこられた童子会の方だった。頂仙岳の巻道のトレースはこの方たちのものだった。こういうところに初めてトレースを付けるにはかなりの経験が要る。D氏をご存知のようであれこれと和気藹々と話が弾む。
 ほどなく、二人の若い男女のパーティ。アイゼン装着で、途中かなり潜って大変だったと。これまたたいしたものである。1階はあと一人分くらいのスペース。2階が空いてる。
 するともう一人単独の方が来られた。
 三連休のせいか、この狼平も満員状態である。
 人の数とそれに伴うコンロの火のせいか、小屋の中は寒くはなかった。
 焼酎を飲み、晩御飯はうどんを食べてアルファ米で雑炊。どんさんがするめを焼いていたので、いくつかだしに入れた。
 ダウンのシュラフにカバーをかけ、靴、手袋はそれぞれビニールの袋に入れてシュラフとカバーの間に入れる。
 「夜中にトイレに起きることがあったら、起してよ〜」とD氏に頼みヘッ電を消すと即爆睡。何時ごろ寝たんだろう? 7時くらいだったか。
 夜中3時過ぎだったか、D氏が起してくれたのは覚えていたし、おしっこも行っておきたかったけれど、面倒だったからそのまままた寝てしまった。(^O^)

2月12日(土)
05:00 起床。小用に出るとわずかに粉雪だったが星も出ていた。
 朝食はラーメンときのうの残りのアルファ米でこれまた雑炊である。
 おおざっぱに片付けて、どんさんのアタックザックにテルモスそのほかを入れ、ほぼ空身で登ることにする。

06:30
 数年前付けられた階段はすっかり埋まっているからおおよその記憶で登りだす。夏道に従ったつもりだが上へ行けば行くほど記憶はあいまいだし、夏道どおりに歩けるわけでもない。歩きやすいルートを探しながら行くしかないのだ。
 するとどうだろう。今までに見たこともない一面の雪の世界である。
 低い気温のために電池の活性が落ちているから、カイロにくるんだ電池を撮るたびにカメラに入れてやることであった。
 予報は曇りだったが、文句なしの青空である。
 その青空に真っ白な樹氷が素晴らしかった。やはりここまで来なければ味わえないものがある。

06:45  07:20
07:25 07:30

 弥山小屋手前の巻道も雪のために通れない。結局、弥山山頂奥宮の裏、倒木帯のすぐ上に出た。先頭で引っ張ってくれたD氏のルートファインディングには感服する。おかげで僕もここまで来れたのである。

弥山山頂 弥山小屋

07:40 弥山山頂 天河弁財天奥宮
07:50 弥山小屋
 ここから八剣へも夏道は通れない。昨年3月のように吊尾根を歩くことにする。
 好天、無風。東が金色に光っていた。海が光っていたのである。

吊尾根を通って八剣山頂へ。
なお、八経ヶ岳と言う人が多いけれど、仏教ヶ岳とも言われている。僕は山を覚えたての頃から八剣と言っている。

それはさておき、この広い吊尾根の景色も素晴らしかった。

08:30 八剣山頂

 どんさん、DOPPOさんには遅れながらも僕もついに八剣山頂に立つことができた。やや締まった雪質のおかげで思ったより時間はかからなかった。一週間の違いで先週の薊の雪質とも異なっていた。どうやら春の兆しではないだろうか。
 ほどなく、2階の住人の若い二人組。さすがに元気だ。
 DOPPOさんは、明星から日裏山、高崎横手から狼平へ戻ろうかとおっしゃっていたが、明星直下の倒木帯をまたがなければならない、高崎横手から狼平へ戻らなければならないから、気は進まなかった。
 と、明星側から三人のおじさん。頂仙岳のこちら側の平坦地で幕営し、高崎横手から日裏山、明星と来られたそうである。
 僕たちは来た道をそのまま引き返した。雪の明星、日裏山、高崎横手は、またきっと次の機会があることだろう。

吊尾根から弥山へ 紺碧の空に真っ白の樹氷

09:15 弥山山頂奥宮。
10:00 狼平小屋。
 足が遅い上に写真を撮りながらだったのでさらに遅れてしまい、狼平手前ではトレースに従わずまっすぐ下ると、お二人がいない。若者二人が先に下りてきた。ひょっとすると沢の方から下りてるのかな?と思っていたら、僕を待っていただいていたとのこと。ごめんごめん。

10:40  
 後片付けをして下山。
 頂仙岳手前にはテントが二つあった。
 慎重に巻き終え、熊渡からの合流点のブナ林で一本。
 昨日のようにp1518へ登れば安全だが、登りはきつい。
 単独の方が登って来られて、巻道にもトレースが付いていると言う。
 「だったらそっちのほうが楽なんじゃない?」
 「怖いで〜」
 D氏、どんさんは直登。僕は巻くことにする。
 最初は楽だった。道幅が広かったせいか、踏跡がなくてもそれとわかるのである。
 ほら、こっちの方が断然早いはずだ。
 だが、かなり危険なところもあった。山側に大きな一枚岩。谷側はキレットになっていて、わずか二、三歩だが足一つ分の幅しかないのである。岩にザックを当てようものならその反動で谷に落ちてしまう。その谷にはストックが一本落ちていた。捕まるところがない。支えになるかどうか岩の上に小さな木の根が出ていてそれに捕まりながら渡った。
 こりゃあ、きつくても山に登った方が良かったか。
 やっとこさ難所を通り、それでもまだ僕のほうが早いかと思っていたら、向こうから「お〜い」と声が聞こえた。
 あらあら、彼らのほうが早かったのである。
 
 13時を回った頃、栃尾辻。
 ここで一本。パンを食う。
 林道へ下り、鉄塔で一本。稲村、バリゴヤの頭の山頂部には雲が付いていた。
 雪は少なくなってワカンを脱いだが、アイゼンは履かずに靴のまま下ったけれど、あちこち凍っていて何度も滑りそうになった。

15:40 天川村役場
 ふう。なんとか無事に行ってこれた。
 DOPPOさん、どんさん、ありがとうございました。

 天川温泉で風呂に入った。



DOPPOさん:No,432 厳冬期の八経ヶ岳―そこは白銀の別世界だった

どんさん:厳冬期の弥山、八経ケ岳