玉置神社から熊野本宮大社まで―大峰奥駈最終章 (May 3/4, 2008)
かなり窮屈なスケジュールにはなってしまうが、前夜移動を済ませ、翌朝早く山に取り付けばその日のうちに下山できる。そうすればテン泊一式の装備も不要だし、運ぶのは行動中の水と食料だけで済むから比較的楽である。残りの連休も他のことに使える。
ピッケル君に「どう?」と聞くと、
「いやあ、郭公さん、山で飲みましょうよ」
「そ、そ、そうか」
と言うことで即、山中泊が決まった。私自身、この連休に他の予定があったわけでもない。あせらずゆっくりと歩き、翌日、昼までには下山し風呂に入って帰る。穏当なところだ。
今回、テン泊の装備だがトレッキングシューズで行くことにした。軽いのがなによりありがたい。いつものように靴紐を引っ掛ける一番上のフックをフリーにしてその下の穴を通したところで紐を縛る。そうするとかなり楽なのだ。
ただし、そのことで思わぬアクシデントを引き起こすことになってしまったが。
5月3日(土)
07:30 天辻峠「星の国」で待ち合わせて、熊野本宮まで走る。
本宮が近づきトンネルを抜けると左に川幅が広くゆったりと蛇行する熊野川が見えた。悠揚迫らずなかなかいい感じだ。
一台をデポし、玉置神社へ引き返す。
10:00 玉置神社。
では行こう。まずは玉置山。
駐車場のすぐそばに登山口。ほんの少し登っただけで体が重い。
玉置山の石楠花 | 玉置神社のお神酒。ありがたく頂戴した。 |
10:20 玉置山。
石楠花が咲いている。
熱心な信者さんらしい一団がお祈り中だった。
玉置神社へ下りて、奥駈への取り付きに少し迷った。神社の方にお聞きしたついでに、「ご自由にお召し上がりください」と書かれていたお神酒をいただいた。神社には道中の無事を祈る。
11:50 旧篠尾辻。ここで一本。
おそらく早朝から登り始め」られたのではないかと思うが、軽装の単独の方とすれ違う。
僕たちは泊まるから気持ち的には余裕のよっちゃんだ。軽口を飛ばしながら足を投げ出す。
12:30 大森山。
さすがに少し登った。
ここからが急な下りの記憶である。
つま先をつんつんさせながら下っていると足が引っかかって前へ出ない。バランスを崩し前へつんのめった。思わず「あっ」と声をだした。
下りだったがさいわい岩場でもなく、転げながらつかまる木の根や草を探した。
一回転で済んだように思うが一回転半だったか。
ようやく止まって、左ひざにやや痛みがあった程度。
何がどうなったのかよくわからない。足元を見ると、左の靴紐を通す一番上のフックに右足のかかとのリング状になった靴をひっぱる紐が見事に引っかかっていたのである。
フックに紐をかけていないからやや外向きの状態になっている。急な下りで両足がそろう狭い足場があったのだろう。
これはいかん。大事に至らずによかった。
昼食を摂った次の休憩ポイントでそのフックにも紐を通してしっかりと結んだことである。
14:05 五大尊岳
道なりに歩いたつもりで鉄塔へ出た。
「ん? こんなとこあったかな?」
「そういえばさっきの標識、矢印の方向が違ってましたよ」
2002年5月18/19日に一度歩いているが曖昧な記憶だ。
「じゃ、引き返そう」
15:35 テン場適地を探しながら結局金剛多和まで。
「ここがいい」
役行者像の前にテントを張る。
石や木に腰掛けて飲む。
吉野からきょうで五日目とおっしゃっていた単独の男性、「もすこし先まで行ってみます」と。
金剛多和。宿跡である。 | 500mlの焼酎がほぼ空いた。 |
ピッケル君が肉を焼いてくれる。
「この網百均でっせ」
そういえば、台高を山の神の頭から大台まで歩いたときも焼いてくれたのだった。
ピッケル君とはわりと長いコースを歩いている。今回のコースで彼もまた大峰奥駈全縦を完成させる。
お忙氏のピッケル君は最近出張先の山を楽しんでいるようだ。
新しい職場に移った僕は外へ出ることはまずないけれど、それなりに楽しみは見つかるものだ。
500mlの焼酎がもうあとわずか。
ごはんにしようかとアルファ米を探すが見当たらない。「ん? そんなはずはない、ガスと一緒に先日調達したばかりなのに」
ガスは持ってきているからアルファ米も持ってきているはずなのに。だけどないものはない。
「僕、ふたつありますよ」
というわけで無事おなかいっぱいになった。
大黒天神岳を過ぎたあたりか。 |
5月4日
06:00 起床。
きょうも好天。
百均の網が活躍しめずらしくしっかりと朝食。
07:20 では行こう。
07:35 大黒天神岳。
展望はないが陽射しは遠慮がない。
前回このあたりで春蝉が鳴いていた。春蝉とは後に教えてもらったのだが、この時期に蝉が鳴くのも不思議だった。
今回はやや早いけれどどうだろう?と思いつつ、大黒天神の下りだったか、やはり「ジージー」と聞こえたのである。
「ほらね?」
「ほんまや」
ここまで来ると眼下には大きく蛇行する熊野川。杜が本宮大社だろう。吉野から延々と歩いた行者さんたちもここまで来ると思わず手を合わせたくなったのではないだろうか。
鳥居が見える。左の杜は大斎原。旧社地。 |
08:20 宝篋印塔。
09:20 七越峰手前の絶好のビューポイントで一本。
大鳥居が見える。
「備崎橋を渡らずに川を渡ろう。川で斎戒沐浴して鳥居をくぐろうや」
おそらくだが、地名、備崎は、この熊野川で汗を流し体を清め、衣服を整え熊野本宮にお参りする、その備えをする場所の意ではないか。
だから今回はぜひとも川を渡りたい。川を渡った車の轍も見える。
「渡れるで」
ただ、ここからも案外長く感じる。到達地点が眼下に見えるからまっすぐ下ればすぐそこなのだが七越峰と言うくらいで無名の小ピークがいくつかあった。
ピッケル君が言う。
「もうこなったらとことん。毒を食らわば皿まで、でっせ」
「皿が多すぎるっちゅうねん」
左岸を少し戻るところ。 | 中州。めっちゃ広い。 |
10:25 いよいよ、本当にこれで終わる、急な下りは熊野川の土手で終わった。
備崎橋は左へ50mくらいだったか。土手には川へ下るように階段がついている。
ところが川は案外深い。泳がないと渡れない。「あらら」
渡渉ポイントを探すべくやや上へ河原を歩くと岩に塞がれた。
山側へ戻りようよう広い河原へのポイントがあった。
河原の中に立ってみると本当に広い。鳥居は目前。
もう一度浅瀬を渡らなければならない。
轍が見えたあたりがよかろう。
まず裸足で感触を探ってみることにしたが、河原の上である、足の裏が痛くてまともに立っていられない。子供の頃はどうだったんだろう? 平気だったんじゃないか?
平たい石を選びつつ川に入ると水中の石は苔が付いていてぬるぬるしている。滑りやすいしとにかく足の裏が痛いのだ。
対岸の若いカップルが、「冷たいし流れは速いし滑りやすいから、どうかな?」と心配してくれる。
仕方がない。靴のままざぶざぶと渡ることにした。
流れは思ったより速く感じた。深いところで股下くらいまであったがそれも一瞬、すぐ浅瀬になり、無事渡った。
振り返るとピッケル君はズボンをたくし上げて準備万端である。
彼もまた無事渡渉。
ズボンをたくし上げ、最深部を過ぎたピッケル君。 |
靴もズボンも濡れたけれど、この真夏のような陽射しである。
鳥居をくぐり靴の中をぐちゅぐちゅさせながら駐車場へ向かった。
ピッケル君、大峰奥駈完全縦走おめでとう。\(^o^)/
ピッケル君:大峯奥駈縦走 最終章(玉置山〜熊野本宮)
波、八、花模様、三本足の烏。意味ありげだ。 七越峰の地図に(伝)海神社跡があった。場所は未確認。 |
まさに行者さんの心境とも重なると思う。 |