深仙宿から鳥の水 (Nov.12, 2010)


 9月19日に再開した山歩き。その時はまだ夏の名残りがあったが、それからほぼ2ヶ月、奥駈道の紅葉は終わり、霧氷が見られるほどに季節は進んだ。
 きょうが第7回目。予定をこなせば百丁茶屋から深仙宿までが繋がる。
 天気は、たぶん朝のうちに前線が通過した後、高気圧が張り出す予想図である。予想降水量は1ミリだったから、まあいいかということで出かけることにした。
 暗い林道は怖い。しかも「クマ注意」なんて看板が目立つ。林道上部で夜が明けたが、天候は曇り。

06:30 旭登山口
 登るにつれてガスに包まれた。好天ならば癒しの森だが、これもまた山の風景だ。

07:10
07:25 この頃がもっとも深い霧だった。

07:50 千丈平

かなり細く感じた。

07:55 千丈平水場
 一年中涸れることはないと言われているが、だいぶ細かった。
 巻いて深仙宿へ下る。
 平成7年9月18日入定された方の墓碑を過ぎたころ晴れてきた。

50歳で入定された。

08:25 深仙宿
 香精水を見に行く。涸れてはいないが岩から染み出るくらい。
 潅頂堂の前で一本。僕が初めてテント泊を経験したのがこの深仙宿だった。
 

深仙宿―潅頂堂 香精水
潅頂堂から香精水へ。かつては写真の左側に入定された方の卒塔婆が立っていた。

08:40
 笹をかき分けながら釈迦ヶ岳へ登る。
 途中の尾根から山頂の光背が見える。

釈迦ヶ岳山頂。やや右に光背。

09:25 釈迦ヶ岳山頂

前回(Jan.14, 2007)は、修復中で釈迦像は留守だった。

 携帯の電波がかろうじて飛んだ。
 北斜面をズリズリと下り孔雀へ向かう。

孔雀岳。

 鎖場、やせ尾根を慎重に過ぎ、孔雀が近づくと草地にトウヒの立ち枯れ群。
 孔雀覗きからは岩の屹立。

 道は濡れていて木の根だけではなく岩もまたところによっては滑りやすく、おのずと慎重になる鎖場、やせ尾根よりもむしろこちらに気を遣った。

なぜか孔雀岳ピークと記憶していたところ。
2003年5月3日に撮った。 2003年6月8日に撮った。

10:30 孔雀岳と記憶していたところ。山名板がない。あれ? ここじゃなかったか?
 ???と疑問符が飛び交いながら奥駈道を下る。
 ほどなく「孔雀岳はこっち」の看板。そうだったかなあ?

奥駈から孔雀への案内標識 孔雀岳山頂

10:45 奥駈道を離れ稜線に沿うと孔雀岳の山名板。
 それも東向きに立っている。ここだったかな? 山名板は付け替えられることはあるだろうが、山頂そのものがここだったのかどうか?
 僕はその前の、孔雀覗きのそばのピークだとずっと記憶していたのだ。
 まあ、小さなピークが近くにふたつ並んでいるからあえてどちらでなければならないってこともないかもしれないけれど、ここはどうも記憶とは異なる印象なのである。
 
11:00 鳥の水

写真ではわかりづらいと思うが、先週と比べて水量は細くなっていた。

 ここが全7回のコースの結節点となった。
 先週に比べると水量がかなり減っていた。雨の影響で増減しているのかもしれない。

11:10 郭公ヶ宿
 せっかくだからここまで来て一本。
 倒木に腰掛けてあたりを見回す。
 空は雲が多く、青空はわずかだ。
 それにしても静かだ。
 静かに一連のシリーズを終えた。

 とは言え、釈迦へ引き返すまでは気を抜けないけれど。

曇っていたからなおさらそう思ったのかもしれなが、ほんとうに静かだった。
 
 さて、帰ろう。

12:20 巨岩橡の鼻の風裏で昼食にしようかと思いつつ結局通り過ぎて、空鉢岳の山名板を過ぎたところの草地に座り込んで昼食。

 やせ尾根を過ぎて、最後の釈迦ヶ岳北斜面だ。もう少し、もう少しと見上げ見上げしながら登ったことである。

13:05 釈迦ヶ岳
 いつの間にか一面の青空になっていた。
 あとは千丈平、古田の森と下るだけである。

 誰にも遭わず静かな山歩きだったと思いきや、単独の年配の方が登って来られた。
 釈迦までなら日暮れまでには下れるだろう。
 「さきほど、3パーティ15人ぐらいが下りてましたよ」と。
 そうか、僕の孔雀往復の間に、釈迦へ登って下りられたと言うことか。

14:00 南奥駈の遠望のきく草付きで一本。
 はるかに笠捨山が見える。

14:45 旭登山口