滝畑から槙尾山、三国山、それからそれから・・・
(Nov.13, 2005)
バスの時間より45分も早く河内長野に着いてしまった。
仕方がないから階段を下りたベンチに腰掛けてタバコを吸う、コンビニへ行き、また戻りパンを食い、コーヒーを飲む。
滝畑へのバスはロータリーの一番端っこである。10分くらい前になってそのバス乗り場へ向かうと「あらら」、長蛇の列である。バスに乗り込むともう座れない。収容しきれない登山姿が10人以上。臨時便が出ることになった。
終点滝畑で下りて橋を渡りUターン気味に槙尾山への登山口へ。
こちらへは誰も来なかった。ほとんどが岩湧山だったか。天気もいいし、山頂部のススキも光りに映えてさぞきらきらしていることだろう。
道は穏やかで静かだ。久しぶりの山道。僕は決して山ヤではないけれど、喧騒を離れて山道の感触を確かめながら歩くのは気持ちがいい。
天気はいいし、風もない。ほどなくジャンパーを脱ぎ、ワイシャツの袖を捲くった。
道標がわりのお地蔵さんが見えると施福寺へは近い。
10:50 槙尾山施福寺。
一本取って山頂へ。
11:15 槙尾山山頂。
稜線伝いに三国山へ。途中から道は広くなり、「近畿自然歩道」の道標が立っている。 道は穏やか、自然林も残っていて快適だった。
12:40 三国山の鉄塔。
12:45 三国山山頂。
アスファルトの道に戻りベンチに腰かけ昼ご飯。
きょうのコースはいくつか考えてきたけれども、いままでの快適さに気をよくして、和泉葛城山まで行ってみることにした。
帰りは紀ノ川に向かって下りJRに乗ればいい。
13:20
七越峠を過ぎ、三差路に出た。地図を見る。地図と言っても1993年版「金剛山・岩湧山」の裏面である。
「鍋谷峠か?」
案外早く着いたようにも思えたが、三差路はここしかない。
と言うことはここから山道に入ることになる。
小ピークを越えると踏跡は尾根に沿って下る。ずんずん下るうちに踏跡もなくなり、テープも見当たらなくなった。しかも尾根自体がやたら広くほぼ90度のどこでも歩けそうだ。
なんだかやばそう。いったんは最後のテープまで戻った。それから、目を凝らしつつ左右を歩き回ってみたものの、テープはなかったし、確信の持てる踏跡もなかった。
大石ノ峰を経て和泉葛城山であるが、このまま下ってよいものかどうか。
僕の山カンはやめといた方がいいと言っている。
三差路へ引き返し、アスファルトの道を南へやや下ってみる。が、これまた、ずんずん下りそう。
「うーん」、これもいまいち気が乗らない。
またもや三差路に引き返し、さらに七越峠まで引き返すことにした。
七越峠から蔵王峠へ下り、時間が許せば南葛城山へ。それから紀見峠へ下ろうかとも思っていたのだ。
14:45 七越峠。結局1時間半のロスだった。
幅広の道を楽勝気分で下る。延々と下る。こんなに長いの?と思うほど下った。
右下からほら貝の音や人声らしきものが聞こえた。木間越しにお寺が見え、三差路に出た。ここが蔵王峠だと思っていたが、どうもそうではないようだ。
道標によると蔵王峠へは滝畑側に下るようである。
数台のバイクのツーリングが追い越して行ったが、他にはわずか一、二台の車が通っただけで谷あいの静かな道である。
16:20
20分は歩いたろうか、ようよう蔵王峠に着いた。
南葛城山へ登るにはToo Late。ヘッドランプはあるが山頂周辺で暗くなるに違いない。
そもそも、南葛城山への取り付きそのものがわからなかった。
紀ノ川側へ下っても良かったがいかにも距離が長い。
まだ滝畑へ戻った方が近い。バスの最終は19:09のはずだからそれまでには充分時間がある。
薄暮の道をいい加減疲れてきた頃、とうとう真っ暗になった。ヘッドランプを点けた。
羨ましいカップル、近在らしい元気な若者たち。数匹の野良犬。僕も野良犬となんら変わらない。
2001年3月24/25日、ほんのちょっとずぼらしたおかげで、岩湧山から暗くなりかけた道を滝畑まで下ったことがある。僕にとって滝畑には魔物が棲んでゐるやうだ。
いずれも、近場で低山だからと安易に構えた結果である。遠近問わず初めての山域なのだから当然のことながらしっかりした地図が必要だ。
17:30 滝畑バス停。
最終バスよりかなり早く着いたからもうひとつ早いバスがあるかもと期待したが、それは15分前に出たところだった。
誰もゐない真つ暗なバス停にヘッドランプを点けて一人。
ぢつとしてゐると寒くなる。
身体を動かさなければ。
土俵入りの稽古、スキップ、ジャンプ。しまひにベンチに立つて飛び降り自殺の稽古までやつた。それで少しは石が下りてくれるかもと期待したが効果はまだ表れてゐないやうである。
念のためにバス会社にも電話をした。来るのは間違いない。
1時間半の待ち時間が1時間になり、30分になり、あと10分になり、やつとバスが来た。
追記:
後日、1/25000の「内畑」を見ると、あの三差路は鍋谷峠ではなかった。鍋谷峠へはそこから右、つまり北側へ取りだいぶ歩かなければならない。