伸びやかな台高の秋―明神平から池木屋山へ (Oct.13/14, 2001)

(一)酒を飲む
 明神平へ向かう車中、こでさんが、
 「さば缶を白菜で炊いたら美味しいんですよぉ。簡単やしぃ」
 廣さんが、
 「ほんま、美味そうやね」
 「しようかなって思ったんですけど、白菜重たいしなぁ」
 じゃ、やりましょうと言うことになり途中で材料を調達することになった。
 ちょうど「吉野スーパー」の前を通りかかったにもかかわらず僕は白菜とさば缶なんだからもっと先へ行ってもあるだろうと思って通り過ぎてしまった。
 消防署の三叉路を左へ曲がると、もうスーパーらしきものはない。よろず屋さんでさば缶をふたつ。この先に八百屋さんがあるらしいが行き過ぎてしまったらしく、
 「さっきのとこにあったんとちゃう?」
 「じゃ、引き返しましょう」
 白菜はあった。が、醤油がボトルごと買うことになり、これは多すぎる。
 「佃煮で代用する?」と、海苔や、椎茸と昆布のそれを手に取りながら、
 「うーん」とこでさんが唸る。
 「そうや、彦兵衛さんとこでもらおうよ。あそこなら間違いなくあるんだし」
 それを聞いたお店のご主人、
 「もらいはるんやったら、容器あげましょか?」と、店の奥から金魚の醤油差しなら20個分いや、もっと入りそうな透明で赤いキャップのついたのを「これどうぞ」と。
 ミリオンさんは、金剛のコンビニで缶ビールを買ったにもかかわらず、この近くの自販機でまたもや買い足してたんじゃなかったかしら。

 「ラッキィー」 
 「ほんならみりんも混ぜてもらおうかな」とこでさん。
 結局、みりん1に対して醤油3の割合にしてもらうことになった。
 「でも、彦兵衛さん、???になるんとちがう? 入れ物はあるけど中身がない。まるで最初からそのつもりで来てるみたい」

 「彦兵衛さ〜ん」
 奥の本家から、いつものようにニコニコして出て来られた。
 「みりんと醤油を1対3で」
 「は?」
 「明日の夕方、帰りに寄りますわ」

 僕たちは1時をすこし回ってヘリポートのある駐車場へ着いた。僕たちが遅刻したのにはこのような涙ぐましい努力があったのです。
 円さんの所属する山友会のみなさんが到着。
 昼御飯の寿司を頬張って、出発する頃にポツリと来た。僕はザックカバーだけ着けた。

 今回は、明神平にテントを張り、明日荷を軽くして池木屋まで往復の予定である。
 池木屋は、宮の谷出合から高滝を経て登ったことがある。思い出深い山だ。明神平からも行ける、この道もぜひ歩いてみたかった。円さんの会の企画でやるから、よければ来ないかとお誘いをいただいた。初日はとにかく飲みましょう、と。
 結局、メンバーもずいぶん集まった。RIN & TOHRUさん、倍金満教授、香田さん、どんかっちょさん、こでさん、ミリオン & 廣さん、DOPPOさん、それに円さん、郭公である。

 天理大小屋裏にテントを張り、シートを敷き車座になり飲む。
 こでさんが、例のさば缶を白菜で炊く。鍋が回ってくる。
 「うん、確かにうまい」
 隣の香田さんは、鈴鹿で拝見した大きなフライパンで炒め物。サラミをいただく。
 「うまい、うまい」
 ミリオンさんの前には「無頼派」の瓶が集まる。

 話題はどうしても、この夏以来なぜか僕たちの仲間のHPに何度か現れた荒らし、荒らしまがいの書き込みのことである。
 僕自身は、複数の名前で書かれたこれらの書き込みはじつは一人がHNを変えて書き込んだものだと考えている。当初は、軽いジョークのつもりであったろう。しかし、そのジョークに誰もが笑えるわけではない。不愉快に思う人だっているのだ。だから、そのとき、「すまん、すまん」で終わっていればよかったのかもしれない。でも、そうはならなかった。「誰かと勘違いしているのでは?」と切り抜けられた。おそらくここで、自分ではないことを証明しようとしてもう少し大掛かりなシナリオを考えられた。当然ながら、そのことが事態をさらに悪化させた。そのあたりから、僕はいやになった。なんでそんなことをするのか? 理解に苦しむ。次に、ある人のHNに似せた書き込みがあり、ついには、ある人のHNをまるまるパクった書き込みがあった。このことは重大な意味を持っている。もはやネット上でのお遊びではない。
 僕たちはそのHNを信用し、その人個人が書いたものであることを疑わずに対応している。しかし、その当人でもないものがそのHNを使ったらどうなるか? すべての書き込みに対して、ほんとに当人自身が書き込んだものなのかどうかを疑わざるを得なくなる。
 仲間内で疑心暗鬼がはびこる。このことに気が着いていない。気が着いてそんなことをされたのだったら…。
 
 飲むにつれて、そのこともだんだんとどうでもよくなり、DOPPOさんの中抜き「もしもし亀よ」、出ました教授の「電線音頭」。RINさんが隣でその芸を盗む。
 しまいに、山友会のみなさんが合流、芸達者な人たちばかりである。


(二)明神平から池木屋山へ
 早朝まだ暗いうちにラーメンを食べ、紅茶を飲む。満天の星だった。
 やや明るくなった5時半、「じゃ行きましょう」
 明神岳を過ぎ、笹ヶ峰の手前あたりで日の出だったか。この道もなかなかいい。
 千石山への途中だったか大峰山系が見とおせるところがあった。円さん、足を止めて、 「あれが山上ヶ岳、稲村、弥山」と。八剣は弥山の陰に隠れていたか。
 千石山を過ぎると尾根からぐっと下る。木につかまりながらやっと下りきったところに水場があった。その沢を渡ると、なんと広々とした斜面に平坦地があり、DOPPOさん、
 「ここにテント張ったんや」
 DOPPOさんは、膝の故障のために「ここで待っとくわ」。

 赤クラ[山/品]山、千里峰を過ぎ奥の平峰。
 「いいですねぇ、ここ」
 ゆったりと広くて展望はいいし、まるで山奥の別天地である。伸びやかな感じがなんともいい。
 霧降山を越える。向かいのピークがどうやら池木屋である。僕はやや速足になったかもしれない。
 「あの小屋池をまた見てみたい」
 まずひとつ湿潤なそれらしいものが見えたが、どうも記憶と違う。
 「もうひとつ向こうにもあるよ」と香田氏。
 「これだ、これだ」
 何年振りだろうか。そのとき僕は池木屋山頂にテントを張り、早朝カメラを持ってこの小屋池を撮った。真横から光が射し、ブナの影が横に長く延びていた。そのときも秋だった。池と言っても水を湛えているのではなく湿潤なヌタ場である。

 山頂は僕たちのパーティ、林道北股線から来られたパーティ、山友会、宮の谷出合から来られた数人と、思いもかけず大人数となった。
 
 片道4時間と少しの道のりを僕たちは引き返した。
 一日の行程としてはややハードだったかもしれないが、荷が軽かったせいか、比較的すいすい歩けた。
 何よりも台高の伸びやかな秋を満喫できた一日だった。

 帰りは彦兵衛さんちでうどんをいただいた。ミリオンさんはまた飲んではった。
 鍋の季節になるから、竹細工の豆腐掬いを土産に買った。と言っても、僕が使うのだけれど。



円さん:池木屋山
ミリオンさん:明神平の小さな秋
RINさん:秋の池木屋山