池木屋山から迷岳―いくつもの支稜と急登  (May 11/12, 2002)
5月10日(金)
 雨のためにいったんは延期のお触れが出たものの、入念に天気予報をチェックしていたDOPPOさんから金曜の朝お電話をいただいた。
 天候は回復に向かいつつある。どうしようか? 雨上がりの青空は気持ちいいでぇ、と。
 ああ、DOPPOさんはほんとうに山が好きなんだ。僕はひそかにそう思った。
 もちろん行ってもかまわない。あとはどんかっちょさんの都合を聞いて夕方決めようということになった。

5月11日(土)
 車一台をスメール温泉の駐車場にデポしたあと、もう一台で宮の谷出合へ。途中のダムのところでは猿が何匹もいた。
 宮の谷出合から池木屋山へは、かつて秋に行ったことがある。沢を何度か渡り返して高滝まで行った。秋のせいか沢は細かったから靴を脱がずにすんだけれど、今回はずいぶん水かさが増している。でも、階段、橋が付け替えられていて沢へ下りるのはほんの一瞬。高滝までは難なく行けた。
 水かさが増しているから、高滝を対岸へ渡るのにどれを行こうかと迷った。どれを行っても足を滑らせたらおおごとになる。

 あっちがいいかこっちがいいかと飛び石を伝っているうちに迂闊にも封を開けたばかりのたばこを落としてしまった。しょうがない、禁煙山行だと思っていたらDOPPOさん、余分にあるからとその都度分けていただいた。
 池木屋までは先にも書いたように一度経験があるが、その記憶以上に急登だった。ヒルがいるらしく、僕が先頭を歩かせてもらったがさいわい一匹も吸い付いてくれなかった。なぜか真ん中のDOPPOさんには何匹も。後ろのどんかっちょさんがそれを見つけて、
 「DOPPOさん、ヒルがいますよ」
 「えっえっ」
 DOPPOさんいわく、まず僕が歩いてヒルが人の気配を感じ、それから飛び降りるから二番目を歩く人が吸い付かれやすいのだ、と。やっぱりおいしそうな人に吸い付くんじゃないのかなぁ。
 途中で12時を回った。僕は腹が減っていた。どんかっちょさんは、小休止のたびにGPSで今の位置を確認。きっと機械好きなんだろう。それに、年齢のわりには身のこなしが軽い。きっと日ごろから鍛練されているのではないかと思う。
 池木屋山頂で昼食。
 さあ、これからだ。
 東尾根は、池木屋山頂からいま登ってきた宮の谷からの登山道に向かってやや右の尾根になる。あるかなきかの踏跡だが標識はある。いったん緩やかに下ると「焼山ノ尾」の分岐にさしかかる。「焼山ノ尾」の道標は右についている。だからまっすぐ行きがちになるが、ここは二重稜線になっている。
 「ちょっと待ってや。これは左の稜線を行かなあかん」。DOPPOさん、地図とコンパスで確認をする。ここが迷いやすい第一点目かと思う。
 DOPPOさんの記録にある立体展望図を見るとおわかりいただけると思うが、この山系には、支稜がいくつも出ている。迷いやすいルートである。ただ、テープは付いている。
 「テープを見落とさんように行って。踏跡はけもの道かもわからへんから」とD氏。

 尾根上の道はなかなかしっとりと落ち着いた道だが、痩せ尾根もあり、そこが倒木でふさがれて歩きにくい個所も随所にあった。あれやこれやの話に夢中になり、尾根をまっすぐ歩いているとどうもテープが見当たらない。
 「おや? 間違ったかな?」
 分岐まで引き返しまわりを見渡す。
 「ありました、ありました」
 別の尾根にテープが付いている。それほどうっかりしていると間違いやすいのだ。尾根上の道だからなおさら気が付きにくい。なかなか一人では来れないと思った。
 いったんぐっと下って野江股への頭へ登り返す。これがまたきつい。このころから野江股の頭はガスに包まれた。雨の気配で雨具をつけたが、結局雨らしい雨には遭わなかった。
 高度をかせぐと痩せ尾根の岩場があった。足を滑らせないよう緊張する。ピークを二つほど越えたところが野江股の頭。ここには、山名板がある。五時半だった。

 予定のテント場はもうすぐ、DOPPOさん、水とお酒をデポしてくれているとのことである。この野江股の頭から白倉山への縦走路上の次のピークへぐっと登るとこのピークからも支稜が出ていて、この支稜にもテープが付いている。DOPPOさんは下見のとき白倉山の方、つまり今回とは逆方向から歩いて来られてこの支稜の尾根を下り、今回の幕営適地に水、酒をデポされた。縦走路からはやや入り込んだところだった。
 話を聞いてなるほどそうかと思ってしまう。つまり、白倉山の方から野江股の頭へ向かって歩くと、この手前のピークから右への稜線がまず目に入り、しかもテープが付いている。これが本道だと思ってしまうのである。下見の日は雨で視界もよくなかったことだろう。なおさら、右へ折れるのに何の疑問もなかったことと思う。

 幕営地は申し分のない平坦地であった。
 DOPPOさん、「この辺にデポしたはずや」と少し斜面を下る。「あった、あった」
 「さ、はよ飲みましょうよ」
 どんかっちょさんは60代、DOPPOさんは50代、僕は40代。これだけ年齢は離れていても話題は尽きない。

5月12日(日)
 翌朝は朝日が拝めた。
 6時にテント場を出て、白倉山を目指す。岩場をずり下がるところもあったりしてやや緊張した。途中の尾根から南に双耳峰らしき山が見えた。鰔谷高だろうか? 白倉山へも目前のピークの手前を左に折れるところがあった。ここにはちゃんと標識がありテープもあったが、僕はまっすぐ行きかけた。
 ふうふう言いながらやっと白倉山へ。ここからの迷岳の展望はすばらしい。
 ここからいったんぐっと下る。爪先がつんつんするくらい急な下りである。あちこち木の枝をつかみながら下る。これが登りならばさぞきついにちがいない。最低鞍部から大熊谷の頭へ登り返す。だいたいにおいて、頭とつく名前は深い谷の源頭部なのだろう。急登が続く。ようやっとその大熊谷の頭へ。ここでも稜線がふたつに分かれている。
 標識にしたがって迷岳へ。いよいよ最後のピークである。道も昭文社の地図の説明に反してブッシュもなく、ブナやカエデの明るい稜線歩きだった。
 「いいですねぇ」
 10時、迷岳山頂。山頂下の平坦地で憩う人もいれば、犬を連れたおじさんもいた。明るい陽射しにほっとひと息である。そうこうするうちにミートさんともうお一人が登ってこられた。

 あとは飯盛山を経てスメール温泉へ下りるだけである。
 と思いきや、これがなかなかの急斜面でしかも痩せ尾根だった。しかも長い。滑れば谷まで落ちてしまう。岩をへつるところもある。ザックを岩に当てないように気を遣う。やれやれ最後の最後にこんなところが残っていようとは。宮の谷から池木屋への登りより、こっちのほうが断然に厳しいと思う。ここは充分気をつけないと。何度も休みながら、14時12分、ようやっと登山口まで下りた。
 久々のハードな山行だった。
 昨年来DOPPOさんからぜひにと誘われていて、周到に下見をされて実現した山行だった。
 どんかっちょさん、DOPPOさん、ありがとうございました。おかげで本当にしっかりした山歩きが楽しめました。
 僕たちは堅い握手をして、いま下ってきた飯盛山を振り返り振り返りしながら風呂に向かった。

 なお、カメラ故障のために掲載した写真はおよび地図はDOPPOさんからすべていただいた。ありがとうございました。


DOPPOさん:新緑の池木屋山から迷岳へ縦走
DOPPOさんのアルバム:池木屋、迷岳縦走
どんかっちょさん:池木屋山、迷岳縦走