薊岳、リベンジなる。(Mar.6, 2005)

 ちょうどひと月前、山頂直下の難所で敗退した薊岳。ゆっくり対策を考えるまでもなく、直感的に「こらあかん」とすぐさま引き返したのだった。ここへ来るまでにかなり時間も使っていたし、そこそこの難所をようやっとの思いでたどり着いたはてのことでもあったから、正直言ってびびっていた。怖かったのである。
 以後、ほんとうに僕の力量では無理なのか、なんとか行けなくもないのか、何度も脳裏を去来した。雪のあるうちにもう一度行ってみたい、ほんとうに「あかん」かったら引き返せばいい。
 そんな思いでいたところ、明神平でそり滑りの話が持ち上がった。わがままなことで相済まなかったけれど、僕は早めに出発して再び笹野神社から薊へのルートで行くことにした。再度敗退するかもしれない、ひょっとしたら谷へ落ちるかもしれない、あの難所をなんとか通れたとしても明神平へ着く頃は彼らの下山予定時刻をオーバーしているかもしれない、などの理由で合流できるかどうかは保証の限りではなかったが。
 前夜になって、急遽、どんさん、タンタンさんもご一緒しましょう、と。三人になれば心強い。

07:15 笹野神社(前回は08:25)
 前回より一時間早く出発。雪はなかったし、風もなく暖かくさえあった。この分だと上ではワカンよりもアイゼンの出番かもしれないなどと言い合って登り始めたのである。
 途中で若いお兄さんがスタスタと僕たちを追い抜いて行った。

 09:05
 大鏡池。
 この道は過去何度か歩いたことがあるが、じつは大鏡池がどこだかいままで知らなかった。振り返ってみると、過去はすべて単独だった。
 稜線と交わるあたり。登山道のすぐそばだった。
 ここでワカンを履いた。
 09:45
 小屋ノ尾頭。
 ここまで来れば雪の量は前回とさほど変らないようにも見えるが、今回は15分ほど早かった。
 今回も新雪だった。

09:05 大鏡池(前回は10:25)
 ここでワカンを履いた。ここまでくればさすがにたっぷりの雪。しかも新雪だった。先週と同じく、週末にかけての雨がここでは雪になっていたのだ。

09:45 小屋ノ尾頭(前回は11:25)
 先行のT氏がぐいぐいとトレースを付けてくれたおかげもあったが、前回よりやや少なめの雪であったか。前回はここまで3時間、今回は2時間半で来ている。

 痩せ尾根を経て最初の難所の岩場は、前回はスコップで、今回はピッケルで雪を落として足場を探した。
 そろそろ、あの最大の難所、岩場の右の急斜面をほんの少し下り、岩場の向こうへ巻く所だ。わずか10mか20mなのである。「そこまで行ったら一本取って対策を相談しようや」って、T氏に言っておいたが、「あらあら」、T氏はもう途中まで下りていたのである。あとは向こうへ巻くだけのところで待っている。

 10:40
 最大の難所。
 写真で見ればどうってことない平坦のように見えるが、かなりな急斜面。
 前回はここで敗退した。
 上の写真を下って巻いたところ。
 
 やっと難関通過。
 思わず笑みがこぼれます。

 (撮影はT氏)

10:40 最大の難所(前回は12:55)
 前回、単独で1時間半かかったところを今回は三人で55分である。
 「あらあら、行けるか?」
 「行けますよ」、とこともなげに言う。
 ワカンの爪を利かせながらそろっと急斜面を下る。ようやっとT氏のそばまで行きかけたところでずるっと滑って転んでしまった。谷まで落ちなくてよかった。
 あとは約10m、平行に岩場の下を巻いて鞍部に出た。「ふう」、やっと通れたぞ。
 どんさんは、最初の難所、岩場の登りでスノーシューを脱ぎ、いずれまた履くだろうからと手に持っていて、それが荷物になっているようだ。
10:50 三人ともに無事通過。よかった、よかった。安堵感、いっぱいである。 
 山頂まではほんのひと登り。「えっ、ここか?」と思うほどすぐだった。

 11:00
 薊岳山頂。

 「どんさん、タンタンさん、郭。いま薊。リベンジなる。風。寒い。これから明神へ。」
 慣れないキーを叩いて報告メールを書いた。
 同じく薊岳山頂。
 さすがに寒かった。

11:00 薊岳山頂。
 ついにリベンジである。とてもうれしい。
 お互いに写真を撮りあい、携帯が繋がったので報告メールを書く。
 「どんさん、タンタンさん、郭。いま薊。リベンジなる。風。寒い。これから明神へ。」
 実際、寒かった。指先も冷たかった。

 明神平へ行っている、DOPPOさん、HAMAさん、ハラッチさんの下山予定時刻が13:30。所要時間は雪の量次第であるがなんとか間に合いそうだ。あとは危ないところはない。
 僕たちを追い抜いて行ったお兄さんは、この薊から木ノ実ヤ塚へ廻ったようだ。踏跡がそのように付いていた。なるほど、それから麦谷林道へ下りたのであろう。装備は、ストックもピッケルも、ワカンも使った形跡はない。僕たちを追い抜いて行ったときのままの装備、つまり靴だけで歩き通されたのではないかと思われる。

 踏跡のない処女地。
 薊から前山まで、ずいぶん長かった。
 雪さえなければ快適な稜線歩きなのだが。
 エビのしっぽ。

 明神平への稜線はトレースのない処女地だった。小ピークをいくつか越えて最後が前山への登りであるが、さすがに疲れてきて「まだか、まだか」の心境。T氏はラッセルしながらぐんぐんと登って行く。僕とどんさんは、途中で小休止しつつ後に続く。
 ずっと曇っていたけれど、一瞬日の光りが差した。
 いよいよ前山への最後の登りに差し掛かり、先行のT氏のトレースの横を僕もラッセル。さすがにきついし時間がかかる。前回の大鏡池から小屋ノ尾頭へのラッセルを思い出した。
 上から声が聞こえる。D氏が心配になって迎えに来てくれていたのだ。

12:50 前山。
 「ふう。めちゃしんどかったですわ」
 「また撤退したんとちゃうかと思てたんや」
 それにしても、前山からの眺めは素晴らしかった。消え入りそうな薄墨をさらに薄くした淡いモノトーンだった。
 深い雪をずりずりとなかば滑りながら下ると、HAMAさん、ハラッチさんの元気な顔があった。
 「よお、よお」
 なんとか予定時間内に明神平まで来ることができた。

前山 左下はD氏
明神平にて

13:05 明神平。 
 DOPPOさんがテントを張ってくれていて、そこでお昼。冷えてポロポロするおにぎりを三個食う。
 集合写真を撮って下山しかかると、僕たちが歩いてきた薊からの稜線が見えた。やっぱり最後の前山への登りが長くてきつかった。
 一人だったらどうだったろう?
 あの難所、通れただろうか?
 行けたとして、薊から明神平までどれくらい時間がかかっただろうか?
 どんさん、タンタンさん、おおきにね。
 明神平で待っていた、DOPPOさん、HAMAさん、ハラッチさん、おおきに〜。


 何本もショートカットしながら快適に下るうちに青空になった。


アルバム


どんさん:雪の薊岳から明神平へ

HAMAさん:明神平’05