早苗

(一)


 早苗を知ったのは半年ほど前になろうか。
 仕事が忙しくなりかけて、一本か二本早めの電車に乗るようになってからだと思う。
 もっとも同じ沿線であるから、それ以前に見かけたことがなかったとも言い切れない。それは定かではないけれども、早苗には何か懐かしさを感じてしまう。

 早苗は僕よりふたつ目の駅から乗る。
 毎日のことだから、いつもの時間にいつもの場所でいつもの車両に乗り込む。
 言葉を交わすことはないけれど、だいたいいつもの顔ぶれである。自然と覚えるものだ。
 その中に早苗がいた。
 とくに意識しはじめたのはここひと月くらいではないか。
 やっとストレスから解放されかけてきた頃だった。

 早苗は色白でまぶたは二重。化粧は控えめだ。中肉中背だけれど若干ふくよかな部類かも知れぬ。いつも穏やかで、少し笑みさえたたえているような表情だ。
 髪は黒く直毛。やや硬めの髪。肩までかかるくらいの長さで背中の方はやや長めだが、毛先は不ぞろいだ。ひょっとすると自分で梳いているのかもしれない。白髪が数本見える。
 服装は地味なほうだ。黒、濃茶系をよく着ている。綿のスカートの時もあれば綿パンの時もある。
 靴はスニーカーかローファー。いわゆるかかとの高い靴ではない。
 スカートの時はストッキングの上からこれも黒か茶色系の短いソックスを履いている。それを見ると内心クスッと笑ってしまう。ふくらはぎは若干太めかもしれない。
 年恰好は、会社の女の子と比較すると、そう、30プラス4くらいまでではないだろうか。
 独身なのか、既婚であるかはなんとも言えないけれど。指輪はしていない。
 僕とは、親子ほどは離れていないけれども、兄妹にしては離れすぎていよう。恋愛関係としては、僕はOKだが、早苗からすれば謝して絶するくらいの差はありそうだ。

 早苗の飾らない安心感、穏やかさに僕は魅かれたのだと思う。流行におもねらないのがいい。
 早苗のことを考えると、心が和む。
 きっと二人でいても気分がほぐれるような気がする。
 もちろん、白状すれば、二人でベッドにいるところを想像しないわけではない。
 それがなければ魅かれることもないだろうと思うが、思うことと実際にそうなることとは深い懸崖を隔てた此岸と彼岸の差がある。
 せいぜい「朝お見かけするのが楽しみ」くらいが抑制のきいた大人の態度というものだ。ましてやどうしようという明確な意図もないまま交渉を持とうとするのも無責任に過ぎよう。
 しかし、想いは募っていくのだった。
 
 意識し始めると、なぜか態度がぎこちなくよそよそしくなってしまう。嫌ってなんかいないのに。
 暖かくなって早苗の服もやや明るいものになってきた。それだけではない、かかとの高い靴をたまに履くようになった。髪は濃い栗色に見えてきた。染めているのだろうか。光の加減なのだろうか。
 「あかん、君がそんなふうになったらあかん」
 男というのは勝手な生き物だ。
 早苗だっておしゃれをしたい時もあるだろう。気分を変えたい時もあるだろう。
 そうだ。それでもいい。だからと言って僕は早苗を嫌いになったりはしない。
 でも一言僕は言ってやりたいのだ。
 「君は前のままの方がはるかに君らしい」と。

 なんとか話のきっかけが欲しい、そう思いつつ、いたずらに一日一日と過ぎていく。
 機会は思わぬところにあった。あったが、かなりまずい状況だった。泣きたくなるほど情けない状況で早苗と遭遇してしまったのだ。


(二)

 金曜の夕方のことだ。東京から単身で赴任した部長が無聊らしく、
 「地酒の美味しい店を見つけたんだけど。どう? 軽く飲んで帰ろうか?」
 僕は焼酎党なのだが、たまには日本酒もいい。ビールのあと、冷やで四杯ほど飲んだ。ふらふらしながら改札を抜けるとちょうど電車が出るところだった。
 「おっと」
 次のを待てばいいものをホームを走り、最後尾に駆け込む。ぜえぜえ言いながらドアに寄りかかる。気分が悪くなりそうだ。ネクタイはすでにだらしなく緩めてるし、シャツは半分ズボンから出かかっていたのかもしれない。

 ふと視線を感じ、そちらに目を向けると早苗だった。
 「あら? 酔うてはるわ、ふふっ」
 なんだかそんな感じ。

 どうしたものか。
 「あっ、いや。やっ、どうも」
 挨拶のようなそうじゃないような。これが早苗と交わした初めての会話だった。
 だんだんと目が回りそうになってきた。かなりやばい。胃液が上がってきそうだ。
 次の停車駅まであと5分くらいか。

 早苗が近づいて来て、
 「大丈夫ですか?」
 「あっ、どうも。大丈夫じゃないような・・・」
 僕は何度も深呼吸をする。ズボンのベルトを緩めたいところだがそうもいかない。
 「次の駅で降りるわ」
 
 なぜだか早苗も一緒に降りてきた。
 「えっ?」
 「だって心配だもん」

 あちゃー。ありがたいような、恥ずかしいような。
 ベンチに腰掛け「ちょっと失礼」と言いつつベルトを緩める。
 「ふう・・・。めっちゃ気分悪いねん。ごめんなさいね。帰りおそくなるのに」
 「いいの、駅から近いし」
 「ごめん、ちょっと」
 僕はホームの端まで行き、吐いた。
 さいてー。情けなぁ・・・。よりにもよって・・・。
 「背中さすりましょうか?」
 「いや、あの大丈夫だから・・・。ありがとう」
 吐いてしまうと幾分楽になる。
 早苗はスポーツドリンクを勧める。とくに欲しくもないが、酒臭く、酸っぱい息をしているのに違いない。
 「じゃあ」とひと口飲んだあと、もうひと口飲む。早苗に渡す。
 「もういいんですか?」
 「うん」
 飲みすぎたらまた吐きそうだ。
 早苗は飲むでもなく、捨てるでもなくじっと手に持っている。
 
 はじめてまじまじとお互いの顔を見つめあった。
 「どうもありがとう。あ、あの、はじめまして」
 変な挨拶だったかな?
 「こんばんは」

 「ねえ、髪染めた?」
 「えっ? わかった?」
 「毎朝見てるもの」
 「うれしい。・・・ちょっと白髪あるし」
 「知ってるよ。あはは。でもね、そっちのほうが僕は好きだな」
 「ほんとですかぁ・・・」
 「ローファーみたいなぺったんこの靴履いてるでしょ? あれもいいんだな」
 「・・・。声くらいかけてくれればいいのに」
 「・・・。そうだ、おかえしせんとあかんね」
 「そんなこと、お気遣いなく。・・・でも、うれしい」

 次の電車が入って来た。
 「じゃあ、また改めて気分がすっきりしてる時にお誘いします」
 立ち上がって電車に乗り込む。
 「そういえば飲んでないよね?」
 「きょうは、お稽古だから」
 「何やってるの?」
 「お茶を」
 「ふうん、古風やね。ずいぶん渋いやん」
 「お茶やから」
 「えっ・・・。あはは」

 席がふたつ空いた。並んで腰掛ける。
 「メールアドレス持ってる?」
 「携帯? パソコン?」
 「どっちでもいいけど。ただし、僕は携帯は苦手。いまだに携帯からメール書いたことない」
 「あはは。じつはわたしもあんまり好きじゃないです。ごめんなさい、これ」
 「ああ、こちらこそ」
 早苗は飲みかけのスポーツドリンクの缶を渡すと、手帳を取り出しアドレスと名前を書いて切り取った。
 「なんや、僕とおんなじプロバイダーやん」
 「前のとこ潰れちゃったみたいでここ紹介してもらったの」
 「そうそう、僕も一緒」
 再び缶を早苗に渡し、僕は名刺の裏にアドレスを書いた。
 「へたくそな字やから、読めるかな?」
 「ええっと・・・。これはu?」
 僕は、示された文字ではなく早苗の指先を見つめる。
 「そうそう、uです」

 早苗の降りる駅に着いた。
 「どうもありがとうね」
 「お気をつけて。おやすみなさい」
 「おやすみ」
 早苗はホームに下りた後、振り返ってにっこり笑って手を振った。
 階段を上がる後ろ姿は心なしか弾んでいた。
 それは僕ももちろん同じだ。

 帰宅してさっそく短いお礼のメールを書いた。
 
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件名: ありがとう。

 早苗さん、さきほどは本当にありがとう。
 おかげでだいぶ楽になりました。
 見苦しいところを見せてしまいましたね。

 近々、ゆっくり話をしたいです。
 ぜひ。


 まっとうや じゅじゅ
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 そのまま寝てしまい、翌朝はどうしようもない二日酔いだった。
 偏頭痛がひどく、ぐったりしながらきのうのことを反芻する。
 早苗から返事はない。
 「やっぱり、かっこ悪かったよなあ・・・」

 昼前にやっと風呂に入る、昼ごはんをそろっと食べる。
 少しずつ体調が戻ってきた。

 
(三)

 一年のうち、何度かは、この上もない山日和ってあるものだ。すきっと晴れていて展望もよい。しかも休日と重なれば言うことない。
 きっと今日がそんな日のような気がする。

 和田から天和山へ。木々の緑も軽やかだ。
 一人で山に入るのも悪くない。僕はずっと早苗のことを考えながら歩いた。
 稜線に出ると30分ほどで山頂。そこから少し下りたところが大峰山系の絶好の展望所になっている。はるか左に山上ヶ岳。大日のとんがりを伴った稲村ヶ岳。弥山、八剣、明星。舟のタワを経て仏生。その下には神仙平。手前の七面の右が釈迦ヶ岳。
 弁当を食べてシートに寝転がる。
 空には雲ひとつない。
 「早苗はいまごろ何をしてるんだろう。ここはいいぞぉ」
 僕は急ぐでもなく、のんびりと目を閉じた。

 夕方帰宅。受信トレイを開く。数本のメールの中に早苗のもあった。朝のうちに書いたようだ。一読したあと風呂に入りさっぱりしてコーヒーを入れ再びPCの前に座る。

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件名: 夏茶碗

 松任谷 重々さま

 おはようございます。きょうはとてもいいお天気。
 ひょっとするとじゅじゅさんは山かもしれないですね。

 いつだったか帰りの電車で真剣な目で地図を見ておられたのをお見かけしたことがあります。
 うちの兄もよく山へ行ってましたのでその地図には見覚えがありました。
 「ああ、そうなんだ。山へ行きはるんや」とずいぶん懐かしく思ったことがありました。

 おさそいありがとうございます。
 いろいろとお話ができれば私もうれしいです。
 お酒じゃなくてお茶にしましょう。
 来週は、火水木は空いています。


 きのうは、お茶の集まりで中之島の美術館、裁判所の近くの老松町(そうですね、ここも「おいまっちょう」と詰まりますね)の古道具屋さんを何軒か見て回りました。
 初夏と言っていい季節柄でしょうか。夏茶碗に目が行きました。
 狭い茶室でも、口が広く見込みの浅い夏茶碗を通して外の広々とした風景が見えてきそうな気がしました。
 帰りはミニ懐石。お酒も少しいただきました。

 メールを差し上げるのは迷惑ではありませんか?
 私の方はぜんぜんかまいませんけれど。


 早苗
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Re: 夏茶碗

 早苗さん、こんばんは。

> ひょっとするとじゅじゅさんは山かもしれないですね。

 ご推察のとおり山へ行ってきました。
 大峰の天和山。
 とってもいいところです。
 早苗さんは山は?

> いろいろとお話ができれば私もうれしいです。
> お酒じゃなくてお茶にしましょう。

 僕もうれしいです。
 では、火曜日。6時半。難波のジュンクの1階の奥。地図売り場がありますよね。そこでいいですか?

> 狭い茶室でも、口が広く見込みの浅い夏茶碗を通して外の広々とした風景が見えてきそうな気がしました。

 お茶のことはさっぱりわからないのですが、なるほどと思って読みました。
 利休の賜死事件には少し興味があり、小説ですが、ふたつ三つ読みました。
 井上靖『本覺坊遺文』はよかったです。あと野上弥生子、山崎正和、杉本苑子など。


> メールを差し上げるのは迷惑ではありませんか?

 ぜんぜん。お気になさらずに。
 僕専用ですので。

 ところで、あのときのポカリ、どうしました? ちょっと気になっています。

 じゅじゅ
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ほどなく返事が来た。
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件名:山崎正和

 じゅじゅさん、こんばんは。
 火曜6時半。ジュンクの1階の地図売り場。
 お待ちしています。

 山崎正和の『木像磔刑』は私も読みたいのですが、もう絶版らしいです。


> あのときのポカリ

 コップに移して飲みました。


 早苗
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 たしかどこかにあったはずだ。
 あちこち探すと、やっと出てきた。
 「お貸ししましょう」と返事を書こうかとも思ったが、さすがにくどいかも知れず、次に会うときに持って行ってやろう。


(四)

 火曜日。待ち合わせの書店に入りまっすぐ進み突き当たって書棚の角を左へ折れる。
 早苗はもう来ていて、書棚の前に佇んでいた。背文字を追っていると言うより、僕には考え事をしているように思われた。
 足音に気が付いたのかこちらに目をやる。一瞬の間のあとにこっと微笑んだ。歯並びのいい白い歯が見えた。
 「やあ」
 「こんばんは」
 早苗の前には海外旅行のガイドブックが並んでいた。
 「どっか行くの?」
 「いえ。なんとなく。・・・お勧めのとこ、あります?」
 「その方面もさっぱり。・・・ちょっと待ってて、地図見てくるから」

 棚の横に吊るされた1/25000の索引図に書かれた番号を見て、引き出しの番号を探す。
 何枚目かにあった地図を一番上に出し眺めると、さいわい目的の山域は一枚に収まっているようだが、登山道は記されていなかった。仕方がない。しばらく眺めるしかなさそうだ。国道と、この山域へ入る林道の入り口が切れていたが、これは昭文社の地図で補える。
 念のために1/50000のも見てみるか。再び索引図を見る。踏み台に乗ってその番号の引き出しを引く。昭文社の地図では表の一番下と裏面の上に分かれているところが一面で見れる。これも使えそうだ。
 そんなことを思いながら眺めていると、早苗が来て下から見上げている。
 「ありました?」
 (おい、そんな仕種をされたら抱きしめたくなるではないか)
 「えっ? うん。あった。OK」
 踏み台から下り、2枚の地図をおおまかに丸める。
 「あなたは?」
 首を横に振る。
 「いいの」
 

 書店を出て、喫茶店へ向かう。
 「そういえばお兄さんも山へ行くんだって?」 
 「ええ、よく行ってましたよ。もう10年くらいになるかな、名古屋に転勤になって、北アルプスや南アルプスが近くなったって喜んでましたけど」
 「早苗さんは?」
 「わたしですか? ・・・ええっとね、金剛山と岩湧山は耐寒登山で行きました」
 「それって、小学校とか中学校の?」
 「はい」
 「なんだよ、それやったらうちの子供たちも行ったことがあるって」
 「洞川も」
 「だからそれは、林間学校でしょ?」
 「あ、はい。・・・そうそう、葛城山も行きましたよ。ツツジのころ。ロープウェイで」
 「やれやれ」
 「あはは」

 ターミナルの下の喫茶店。
 僕はコーヒー。早苗は紅茶。
 「ケーキ食べる?」
 「じゅじゅさんは?」
 「僕はそれほど・・・」
 「私一人で食べるの?」
 「えっ? いや・・・。じゃ、僕はヨーグルトチーズケーキ」
 「わたしは、これ」とメニューにある写真を示す。
 手帳に控えないと覚えられないような名前だった。

 「そうそう。忘れないうちに」
 僕は、山崎正和の『木像磔刑』を渡す。
 「すみません。じゃ、お借りします」
 「奥付を見ると、昭和52年、1977年になってた。その頃僕はまだ学生だった。その頃読んだのか、就職して読んだのか、定かではないんだけど、黄色い付箋を二箇所に貼ってたから、ここ数年の間に読み直したと思うんだけど、付箋の箇所もじつはよく覚えていなかった」
 「昭和52年。わたし、まだ小学生だった」
 「一年生と六年生ではだいぶ開きがあるけど」
 「ええっとね、・・・二年生か三年生かな?」
 「うーん、計算がややこしい。・・・どっちにしてもひと回りは違うのかな」
 「・・・。たぶん、もっと」

 「夏茶碗の話。とても面白かったです。なるほどなって思った。もうだいぶ長いの?」
 「いえ、それほどでも」
 「お茶といえば高校の時の文化祭で、お菓子よばれてそれからお茶飲んで。後にも先にもそれくらい。作法とかけっこう難しそうな気がする」
 「うーん。そうかもしれないですね。・・・じゅじゅさん、車乗ります?」
 「うん」
 「私も免許持ってますけど、はじめの頃はけっこう怖い思いをするし、緊張しますよね。運転することに全神経を使ってる。でも、慣れてくると自分が運転してることをあんまり意識しないようになりますよね。むしろほかのことを考えてる。外の景色を見たり、音楽を聴いたり、考え事をしたり。おそらく、お茶の作法もそれと似ているんじゃないかしら」
 「というと?」
 「車の運転はそれ自体が目的というよりあくまでも手段ですよね。お茶の作法もそれ自体が目的ではなく、作法そのものは目的へ向かう手段なんだと思う。でもね、車を運転してるのは事実だから、やっぱり緊張はあると思う。体の一部が無意識に運転しているように見えてやっぱりどっか緊張してる。その緊張の上で楽しんでるんとちがうかなって。お茶の作法だって、もしそれがなくて、ただお茶をいただくだけだったらまた別のことになると思うんですよ。だから、お茶の場合、作法を通してお茶の世界に入って行くようなところがあるんじゃないのかなって最近思ってます。ではその目的とか世界とは何なのかってことになると、これがなかなか難しいんですけどね〜。私自身は、まあ、週一回お稽古に通ってるだけなんだけど、その二時間の間に普段と違う緊張の中で無心になったり、いろんなことを思ったり、そうですね、自分と向き合えるって感じかな。それがいいなって。でも、そこは人それぞれだと思いますけど」
 「侘びとか、寂びとかってよく言うよね」
 「うーん、難しいですね。そのあたりはよくわかりません。ほんとに。何を侘びと言い、何を寂びと言うのか。さっき作法は手段だって言いましたけど、侘びも寂びも結局のところ手段ではないかなって思うことがあります。狭くて田舎住まいのような茶室にしても掛け軸にしても一輪挿しの花活けにしても、それ自体に意味があるというよりも、あくまでも手段なんじゃないのかなって。手段と言うか、舞台装置、舞台演出みたいなものではなかったのかな、って」


 (五)
 
 早苗はゆっくりと紅茶を飲み、肩でほっと息をついた。こういうときの仕種があどけないのだ。そして穏やかな目を向けた。
 「そういえばじゅじゅさん、利休の賜死事件に興味があるって書いてましたよね」
 「ええ・・・。えらいすんまへんって、ひと言詫びを入れたら蟄居謹慎も解けたかもしれないし、その後死を賜うこともなかったかもしれないんだけど、利休はそうしなかった。なぜそうしなかったのか。そこが難しいところですが、まあ、秀吉に見切りをつけたってところかもしれない。時の権力者と深く関わっていたわけだから、他の武将と同様に常に死に対する覚悟はあったと思います。だから、志を曲げて屈するわけにはいかなかった。結果として死を賜うことになろうとそれはそれで本望だ、みたいなところがあったのかもしれないですね。・・・辞世の句がありますよね。
 
ひっさぐる 我が得具足(えぐそく)の 一つ太刀 今此の時ぞ 天に抛(なげ)うつ
利休は茶人だから、この太刀は護身用ということになると思うけど、死を賜ればその太刀も無力です。言葉遣いとしては激しいものを感じます。『よし今から死んでやるぞ!』、なんかそんな気概というか気迫を感じますね…。で、さっきの話を聞いていて感じたんだけど、侘び寂びが茶の境地だとすれば、利休の美意識はたしかにそうだったんだと思うけれど、彼の内面ははたしてどうだったんだろう? むしろ、弟子の本覺坊こそがまさに侘び寂びを生きたような気がする。ま、小説の世界だけれど」
 「わたしもそう思います。侘び寂びの舞台装置の中で利休はいったい何を考えていたのかなって。・・・なんだか硬い話になっちゃいましたね」
 「たぶん、それは向かい合って座ってるからだと思う。たとえばカウンターに横に並んで座ればそんなこともないと思うよ」
 「・・・」
 「向かい合って座るとお互いを見合うことになるからじゃないかな? 横に並べばちょっと感じが違うよね?」
 「・・・そうですね。ましてや狭い空間の中で、お互いを見つめ合うのだから・・・。嘘のない自分が出ちゃいますよね」
 「・・・」



早苗(六)〜