(十二)

件名:『雁』

 早苗さん、こんばんは。
 今朝は本ありがとう。
 ホームで待っていてくれてとてもうれしかったです。

 今日はお昼御飯まで部長(そうそう、あの日、お酒を飲んだ人です)と一緒でしたので、本も読めず、昼寝も出来ず困りました。(^^ゞ
 帰りの電車でやっと読み始めたところです。
 なんだか古風な感じですね。ゆっくり急がずに読んでみます。

 早苗さんは鴎外はよく読むの?
 僕はどちらかと言えば漱石派ですね。

 小さい時から目だけは良かったのですが、ここ最近、小さい字が見にくくなりました。

 ところで、本当に近々、上六へお酒飲みに行きましょう。いつがいいですか?
 

 重々

===================================================

Re:『雁』

 こんばんは。早苗です。
 ひょっとして無理やり押し付けてしまったかもしれません。
 ごめんなさい。

 私の場合、鴎外派でも漱石派でもありません。じつを言えばどちらもそれほど読んでいないのです。
 中学、高校の頃、夏になると「新潮文庫の100冊」を読みたくなり、鴎外のは『山椒大夫・高瀬舟』が入っていました。漱石は『坊ちゃん』『こころ』『三四郎』。
 年代によって少しずつ入れ替わっているみたいですね。
 『雁』を読んだのはそんなに古くありません。ここ数年前くらい。

 私も目はいい方です。両親に感謝しないといけませんね。

 お酒。行きたいです。でも、あんまり飲めませんよ。
 再来週でもいいですか? 月曜から水曜なら。
 でもGWに重なってしまいますね。

 『木像磔刑』、私も読み始めました。

追伸
 部長さんにも感謝しないといけませんね。

 
===================================================
 
Re:『雁』

>「新潮文庫の100冊」

 懐かしいです。
 そうそう、夏になるとそんなキャンペーンやってますね。
 僕らの時代は「新潮文庫ベスト100」じゃなかったかな?
 あんまり読まなかったですけど。

>お酒
 よければ、再来週の月曜(28日)にしましょう。
 カレンダーどおりに仕事に出ます。
 6時か6時半くらいに。待ち合わせはどこがいいですか?
 難波でもいいし上六でもいいです。

 重々

===================================================

Re:『雁』

 早苗です。
 私もその日は仕事です。
 どちらかと言えば、上六の方がいいです。
 時間はお任せします。

 「第一幕」を読み終えたところです。
 おやすみなさい。
 
===================================================

Re:『雁』

 ずいぶん読むの早いんですね。
 僕はまだ「陸」の途中にしおりを挟んでいます。

 4月28日(月)、6時半。近鉄上本町1階のコンコースにしましょう。

 では、おやすみなさい。

 重々


 (十三)

 翌朝、早苗は何か話したさそうにしていたが、にこっと微笑んで「じゃあ」と言って階段を下りて行った。

 夜、焼酎を飲みながら地図を見ていると、メールの受信音が鳴った。早苗からだ。

===================================================
件名:舞鶴、丹後、萩、津和野

 重々さん、こんばんは。早苗です。
 
> 4月28日(月)、6時半。近鉄上本町1階のコンコースにしましょう。

 はい。楽しみにしています。

 さて、隠していたわけでもないのですが言いそびれてしまったのでメールで書くことにします。
 母の郷里は丹後なのですが、日曜日法事があり、せっかくだからと山陰を旅行することになっています。土曜日舞鶴、日曜は母の実家、月曜は萩、火曜は津和野と行ってきます。水曜日、岡山から新幹線で帰ります。母と二人で旅行するのは初めてのことですのでどうなりますことやら。
 土日は、名古屋から兄も出てきます。舞鶴では久しぶりに親子三人で晩御飯が食べられそうです。

 電車に乗る時間が長そうなのでお借りした本を持って行きます。
 有休を早めに取ってしまいますので、GWはカレンダーどおりの出勤です。

 重々さんもよい週末を。
===================================================

 僕は疎外感に包まれてしまい、寂しさを覚えた。仕方のないことなのに。


===================================================
Re:舞鶴、丹後、萩、津和野

 早苗さん、こんばんは。
 山陰ですか。うらやましいですね。
 丹後は学生の頃、ゼミで一度行ったことがありますが、それがどのあたりだったのか、よく覚えていません。海のすぐそばでした。朝起きるとかしゃかしゃと音がしていて、それが丹後ちりめんを織る機械の音だったらしい。
 僕は元々不精なせいか、旅行なんてしたことがなく、山へ行くようになってはじめて「時刻表」を見るようになりました。当然、見方もよくわからなかった。

 まあ、そんなことはともかく、お気をつけて楽しんできてください。

 重々
=================================================== 

 金曜日、駅に早苗の姿はなかった。
 帰途の電車で僕はようやく『雁』を読み終えた。
 お互いの強固な日常性の中で偶然にも触れ合う一瞬。岡田とお玉のめぐり合いはたしかに僕たちにも共通するところがある。へび事件は、僕たちにはあの酔っ払い事件だった。
 お玉は結局偶然のめぐり合いから一歩を踏み出そうとしてまたもや偶然によって先へ進むことができなかった。
 けれど、僕たちはさらに一歩を踏み出したはずだ。偶然のめぐり合いから一歩を踏み出したはずだ。
 「そうか、あれからちょうど一週間が経ったのか。まだ一週間なのか。もうずいぶん経ったような気がする」

 
 
 (十四)

 土曜日の早朝、僕は吉野を抜けて国道169号線を南へ走った。
 十郎山へ登ろうと思っている。時間があれば孔雀尾根のp1477.6まで行ってみたい。
 白川橋を渡ってすぐ右へ折れ林道を詰める。初めての山だから登山口がどこにあるかわからないがいくつかの尾根のどれかに道が付いているはずだ。
 地図を見ながら奥の塩ノ谷あたりまで車を入れると、落石のために行き止まってしまった。途中にあったいくつかの登山口らしきところへ引き返そうとすると地元の猟師さんとすれ違った。話を聞くと最も手前の登山口が一般的らしい。そこからだと距離が長くなってしまうが仕方ない、郷に入っては郷に従えだ。
 気分よく登り始めたのだが途中からかなりやっかいな急斜面をよじ登ることになった。どうやら間違えたようだ。杉の植林帯のためか人が入っているから言わば杣道に迷い込んでしまったのに違いない。それでもどこで間違えたのかが定かではないからそのまま登るとようやくしっかりした道に出合った。
 地図を見ながら尾根に沿う。この尾根に沿えば山頂まで行けるはずだ。
 僕は、つい先日の早苗とのことを思い出していた。喫茶店で話したこと、ひと気のないホーム。早苗は自分というものをしっかり持っているように思える。本屋でのあどけない仕種、ひじに触れた胸の弾力、柔らかな唇、舌の感触、髪の匂い。僕は早苗が欲しくてたまらなかった。

 尾根は平坦になりそこから木間越しにたぶん仏生から舟のタワ方面が望まれた。ふたたびぐっと登ると十郎山の山頂に出た。一本取る。まだ時間はある。浅い鞍部に下り石楠花の森を抜け、孔雀尾根から派生した尾根に取り付く。緩やかな尾根だ。人もいない。水さえあればここで幕営するのも悪くない。テープを巻きながら右に折れ、左に折れ、小ピークを二つか三つ越える。地図ではおそらくこれを登りきったところがp1477.6かと思われた。広く平坦なピークだった。三角点があり、p1477.6峰の山名板があった。
 ここで昼ごはん。
 孔雀尾根は北側がブナやヒメシャラ、南側がシラビソと尾根を挟んで見事に植生が分かれていた。

 

 (十五) 早苗の独白 その三

 舞鶴に着いて重たいカバンを宿に預け、天橋立、文殊さんなどを見て戻りますと、兄はすでに来ていて風呂にも入ったようでビールを飲んでいました。
 「よお〜」
 私たちも風呂に入りにぎやかな晩御飯になりました。
 兄はお酒のせいか、よく喋りました。なぜか関さんの話をよくしていました。
 関さんは兄より早く結婚したのですが、いつでしたか離婚したらしく、そのことは兄からも聞いていました。
 私はもう長くお会いしていませんが、兄とはずっと連絡を取り合っていたようです。
 母も関さんのことはお気に入りで、
 「ほんまやねえ。長いこと会うてないけど、元気にしてはるんやろか。なんで別れはったんやろ」
 
 「そやそや、このGWに健造と大峰へ二泊三日で行くことにした。五番関から山上、大普賢、行者還、弥山、狼平、天川。お前の車と二台で行く。天川に一台デポして、もう一台で五番関まで。早苗悪いけど、お前、五番関まで俺らを乗せてってくれ」

 御飯が済みますと、「ちょっと外で飲むか」。母はもうたいそうだししんどいからと言います。兄と私は散歩ついでに外へ出て居酒屋さんに入りました。

 「お前、どうや。誰か付き合ってるのいるんか?」
 「・・・ううん」
 「不倫はあかんぞ。つらい思いをするだけや」
 「わかってる」
 「わかってるってお前、しとるんか」
 「ちゃうちゃう、そんなんしてへんて」
 「・・・ほんまにあかんで」
 
 「関さんと会うの久しぶりやねえ。十年? いやもっとかな」
 「前の晩に俺とこに泊まってもらうことにしてる。で、俺のとお前のとで二台で行く」
 兄はますます酒が強くなったように見えました。
 「・・・必ずしも健造だけが悪いとも言い切れへん。そら、どっちにもちょっとずつ責任はあるやろ」

 兄の考えの奥にあるものが私にも何となく見えてきました。でも、私には少し唐突な感じがしました。
 
 婚期が遅くなっている最近の風潮とは言え、私だっていろいろ考えないわけではありません。でも、そのために焦っても仕方がありません。母も思い出してはあれこれと申しますが、内心母も私も二人暮しに安心しているところもなくはないですね。
 
 翌日法事が済むと兄は名古屋へ帰って行きました。
 「ほな、GWは頼んだで」
 「うん、いいよ」

 丹後から萩までは結構長かったです。
 読書もはかどりました。
 母が、「何読んでるん?」などと申します。
 「健造さんが来はるんか。ほんま久しぶりやね。そやけど、耕一(兄の名前)はなんでまた・・・」


 (十六) 早苗の独白 その四


 お借りした『木像磔刑』の中にある秀長のせりふです。
> まつたく、そなたの勤めぶりは、傍から見てゐても息苦しくてならぬ。四、六時中、茶といへばすでに釜の湯はたぎつてをり、気まぐれに飯といへば汁の用意が知らぬ間にできてをる。いつでもどこでも、そなたは兄上の求めを先廻りして張りつめてゐる。おかげで、兄上はわが家にゐながら、日がなそなたの客になつて暮らしてゐるやうなものだ。

 『本覺坊遺文』では、利休は「遊びの茶を、遊びでないものにした。と言って、茶室を禅の道場にしたわけではない。腹を切る場所にした」と書いてありました。
 利休は茶室を人と人が真剣に向き合う場所と考えていたのかもしれません。
 心の構えを解くくつろぎの世界ではなく、むしろ素の自分が曝け出される場所を作り出したのかもしれないですね。
 そこでは、身分の上下もなく、曝け出された素の人同士が向かい合うことになるのだとすれば、天下人としての秀吉もまた一人の素の人でしかない。
 結局、秀吉も利休には叶わなかったのかもしれません。
 でも、こんなお茶はやっぱりしんどいかなって思います。

 私は窓外の景色に目をやりながらつい先日の重々さんとお会いした日のことを思い出していました。
 魅かれあう二人を許さない社会の掟みたいなものを無視できるほど大胆にはなれません。一方で、もっともっと重々さんのことを知りたいし、と言うよりもっともっとそばにいたい、その気持ちには変わりありません。けれども、その先にあるものを考えると・・・。




早苗(一〜五) (六〜十一)