【番外編】円空仏と武士ヶ峰の解明 (Mar.11, 2006)

 仕事で知り合った某氏は木版画をやっておられて、近年、沖縄の壺屋焼きほか、風物誌257点を本にまとめて出版された。見せていただいたが、きれいな色合いだった。
 その後、北陸だったか東北だったかに伝わる浄瑠璃人形を経て、今、名古屋の鉈薬師に祀られている円空仏、十二神将を手がけておられる。
 先日お伺いすると、出来上がった四枚を「どうぞ」と頂戴した。僕如きにもったいないと一応遠慮申し上げたがさらに「どうぞ、どうぞ」と。
 ご本人のお許しがあればぜひここにもアップしたい。
 円空仏と言えば天川から和田への途中にもある。いつも見る大峰の地図にも記載があり、ぜひ見ておこう。

 栃尾観音堂に安置されている円空仏。
 ガラス戸の中だったからうまく撮れなかったけれど。
 
 円空銀杏。
 1600年代、円空自身が植えたという伝承があるのだそうだ。

 さて、僕は過去三度武士ヶ峰へ行っているがいまひとつよくわからないことがあり、円空仏の近くでもあるから、ついでながら、この際それを確かめておこう。
 なお断っておくが、これはあくまでも僕自身の疑問であり、今回気が付いたのだが、ごくごく普通に行けるのだ。ただ、僕自身の過去三度の武士ヶ峰行で腑に落ちないことがあったに過ぎない。

 1回目は、
 武士ヶ峰・高城山―思いがけない新雪の中を (Mar.7, 2004)
 
 雪の中だった。高城山からの稜線を伝ったのだが、写真に「武士ヶ峰北峰?」と記したが、今回気が付いたのだけれど、そこは武士ヶ峰の山名板のあるピークよりも手前の小ピークだったのだ。ここからも南側に尾根が走っているから、僕はこれをたどると武士ヶ峰南峰へ行けると思っていたが、どういうわけか再び林道へ出てしまった。

 2回目は、
 乗鞍岳から武士ヶ峰 (Aug.7, 2004)

 西吉野から稜線を伝った。このときも写真に「武士ヶ峰北峰」と記し、「ほどなくかすかに記憶のあるピークに着いた」とも書いているが、実はこれが勘違いで1回目のピークと2回目のピークは異なるポイントだったのだ。

 3回目は、
 光流寺から武士ヶ峰南峰、付、白石山 (Aug.21, 2004)

 南の光流寺から尾根を伝った。
 つまり三回ともルートを変えて登ったのだが、この山行で僕は初めて「武士ヶ峰」の山名板を見た。
 過去2回の北峰には、山名板がなかったから、これがきっと南峰だろうと思ったのである。写真にも「たぶん南峰と思われるが・・・」と記すが如くである。ただし、山名板に記されている標高としては南峰ではない。南峰は1035mであり、山名板には1015mとあるのだから。
 
 と言うようなわけで何だかよくわからないままであった。

混乱の元は、まず1回目の小ピークが武士ヶ峰北峰だと勘違いしたこと。次に、1回目の小ピークと、2回目のp1014が同一地点だと思っていたことだった。

 今回やっと気が付いたのだが、この山名板は1回目と2回目のピークの中間にあった。
 つまり三回目は南峰を過ぎ、2回目のピークも過ぎ(けれど、先入観であろうか、ここの記憶はなかった)、山名板まで来たのである。
 もうひとつ言うと、僕はこの三度の武士ヶ峰行で、地図に記した1回目のピークと3回目の山名板のあるピークの間を歩いていなかったのである。ごくわずかの距離である。数分と言っていい。
 それがそもそもの疑問の生じた原因であるかもしれない。
 1回目は雪の中で、曇り空だったし、ピークから南へ尾根が走っていたからてっきり北峰と勘違いしてしまったのである。

高城山側からの小ピーク。これがp1000か? 武士ヶ峰山名板
p1014。三つの尾根の接点。 武士ヶ峰南峰

 今回も高城山からの稜線に取り付いた。北斜面は伐採されて見晴らしがいい。好天でもある。
 小ピークに出た。先には高いピークがある。そのまま進むと武士ヶ峰山名板に出た。
 前回と同様北西方面の展望はいい。
 西吉野方面からの稜線がこちらへ近づいてくるがその接点はもう少し西よりのようだ。
 ごくわずかではあるが道なりに進むとその接点があった。
 つまり、高城山からの稜線、光流寺からの尾根、西吉野からの稜線の接点である。
 周囲をぐるぐる歩き回るうちに、やっと気が付いた。「そうか、ここが2回目に来たピークだったんや。1回目とは違う」
 僕はそれを今までずっと同じ地点だと思っていたのである。
 ここは展望がないからいったん山名板に戻り、黒滝茶屋の柿の葉寿司を食う。
 と言うことは、この山名板は南峰ではない。やはり北峰になるのだろう。
 南峰は3回目の時、気が付かずに通り過ぎてしまっていたのだ。
 たいした距離でもないから、ついでにそれも確認しておこう。
 
 再び接点に戻り南へ取る。小ピークを過ぎて、おそらく「ここ」と思われる南峰に着いた。南峰からは西に尾根が走っているから地図とも符合する。
 なるほどそうだったのか。
 と言うことは、1回目に通った尾根はこれではない。あの小ピークから南に歩いたことになる。それもまた確認しておこう。
 引き返して山名板を過ぎ、小ピークに出て、南への尾根を通ると、いやはや、1回目と同じく林道に出た。そうゆうことだったのか。(^O^)

 繰り返すが、上述したように、ごくごく普通に行けるのであるから、何の疑問もなく登った方々には、「何をややこしいことゆうてんねん。わけがわからんわ」と思われていることだろう。
 あくまでも僕自身の疑問を解消しに行っただけのことである。


 なお、山名板のある地点は伐採のせいか展望も良く、一本入れるのにはちょうどよいところであり、これが北峰なのかも知れないが、上の国土地理院の地図では、三つの尾根の接点が武士ヶ峰に見えなくもない。昭文社の山と高原地図「大峰山脈」では、その接点から少し南峰寄りを北峰としているようである。たしかにピークはあった。
 北峰、南峰と言うからには、同じ稜線上にあるのが良いと思うし、またp1014は展望こそないものの三つの尾根の接点のピークなのであるから、国土地理院のように、ここを武士ヶ峰北峰とするのが良いのではないだろうか、などと思ってみたりした。