(三)石上神宮のフツノミタマの年代について―検討編

 上述したように、石上神宮のフツノミタマは全体の長さ84.54cm、柄の長さ12.73cm、幅3.64cm、刃の先に向かって1.21〜1.52cmの内反りのある素環頭大刀である。
 じっさいにこの形状を紙で作ってみた。意図を伏せて二人に見せると、「曲がってますね」と言う。大きくはないが目視できる反りである。

 図1の弥生時代では、長さは異なるが反りについては佐賀二塚山36号土壙墓 54.6cmに近そうである。柄の長さは、フツノミタマ12.73cmに対して二塚山36号は7.8cmと弥生期の特徴を示している。

 図2は、平原1号墓出土。弥生終末から古墳時代初頭期、80.6cm。
 あいにく、写真の出典のリンク先が切れていたが、内反りが確認できる。
 『倭人の海道』『玄海灘を制したもの』(いずれも伊都国歴史博物館)にも写真は載っているが、それを見るとほぼまっすぐに見えるけれども、報告書『平原遺跡』(前原市教育委員会)には、
・素環頭大刀 主体部頭部木棺上に副葬されていた、長さ80.6cmで、反りが強い。
 と書かれている。

 図3はホケノ山古墳出土である。折れていたが、報告書の「第2節 中心埋葬施設の副葬品」の文責者は、「環頭大刀は復元すると1m以上の大型品となる」と書いている。少なくとも現存長で60cm以上にはなる。形状としてはほぼまっすぐである。ホケノ山の年代について、報告書は、「3世紀中頃にほぼ限定される」と。

 図4の古墳時代前期では、
・2の福岡一貴山銚子塚古墳 79.5cm 四世紀後半
(編年は、石野博信『全国古墳編年集成』による)
・6の奈良池ノ内7号墳 77.5cm (池ノ内古墳群は四世紀後半〜5世紀初頭)
(編年は、『増補・新装版古墳辞典』による)
などが形状としては類似しているが、表2によっても柄の長さについてはまちまちのようである。

 なお、7は椿井大塚山古墳出土である。椿井大塚山は箸墓と同じ築造規格であり、出土土器から箸墓よりやや遅れるくらいの年代とされている。素環頭大刀は長さ93cm、ほぼまっすぐの形状であり、柄と刀身が明瞭に分かれている。

 ホケノ山、椿井大塚山は前期の中でも早期の古墳であるが、副葬された素環頭大刀は、石上神宮のフツノミタマとは刀工技術としては異なる系譜と言うことができる。

 図5の東大寺山古墳は四世紀半ばから後半。
 素環頭大刀はほぼまっすぐなものから内反りのものまで副葬されているが、2,8,9,10,12が石上神宮のフツノミタマに類似している。なお、8-10の環頭は後代、副葬時に近い頃に付け替えられたものである。中平刀は10.

 図6の古墳中・後期では、とくに類似するものは見あたらない。この年代になるとほぼまっすぐで反りがない。

 概観すると、石上神宮のフツノミタマは形状としては、一貴山銚子塚、池ノ内7号、東大寺山の8-10、平原1号墓に類似する。

 なお、今尾氏によると、弥生期は素環頭が共づくりが大半であり、古墳時代に入ると別づくりが多くなり、素環頭が共づくりなのは、福岡一貴山銚子塚古墳3口のうちの1、兵庫県中山12号墳、奈良池ノ内7号墳、滋賀新開2号墳、愛知白山藪古墳、岐阜長塚古墳、奈良石上神宮禁足地、長崎七郎廟神社伝世品にとどまるという。
 東大寺山古墳出土で指摘した形状の類似刀は、柄から付け替えられているためもともとが共づくりか別づくりかは不明であるからこれを除いても、上記で指摘した形状の類似刀は素環頭のつくりについても共づくりと言う古墳時代には少ない方法で共通している。

 このように見てくると、石上神宮のフツノミタマは、列島内においては弥生期の北部九州に淵源があり、その作刀技術の系譜上にあり、長い柄の古墳時代前期の性質を持った素環頭大刀であると言うことができる。少なくとも、ホケノ山、椿井大塚山の素環頭大刀の系譜ではない。

 製作年代は弥生終末から古墳時代前期(四世紀半ばから後半まで)の間と考えられる。


 さて、左図もまた今尾論文から引いたものであるが、2,3は1913年に石上神宮禁足地からの発掘とされているが、あいにくその情報は未確認である。1913年と言えば大正二年であるから、本殿が建てられた年にあたる。建築に伴って小円丘以外からも出土したのかもしれない。いずれにしても、2はやや反りが強いがフツノミタマの類似刀に含めてよいように思われる。

 では、次章で製作地について考えてみよう。



【追補】
 友人と岡山県赤磐市の石上布都魂神社へ行った後、お互いの資料を付き合わせながら、どうやら、フツノミタマの正体が判明した。その図を載せる。

 さいわい、論考に沿う形状であり、むしろ補強できたと思う。出典は、『神道体系 神社編12:大神・石上』、原図は三枚に分かれていたが、本稿ではそれを合成し一枚の図とした。
 図には長さ二尺八寸とあり、84.84cm。ほぼ近似値であり、菅正友の報告にある「物打チニ少々腐込タルト、柄頭ノ環ノ如キモノ半ハ損セシ様ナルトノ外ニハ、損セシ所モ見エス」と書かれた特徴とも一致する。

 左図中央が、石上神宮のフツノミタマ。



(一)石上神宮の布都の御魂について
(二)石上神宮のフツノミタマの年代について―資料編

(四)石上神宮のフツノミタマの製作地について