(四)フツノミタマの製作地について

大陸製か半島製か列島製かについて考えてみよう。

 
左図は、中国出土の素環頭大刀である。中国では前漢中期に刀が出現し、後漢以降、剣と反比例して出土例が増える。図では4,7に反りが見られるがほかはまっすぐの形状である。

 また、抜身ではなく、木鞘に入れられた状態で出土し、両晋以降は南朝墓に長大な鉄刀例が多く、北朝系では、素環頭大刀そのものの出土の報告がなく、長大な鉄刀そのものも少ないようであると、今尾氏は指摘する。


 4.は柄頭と刀身が確認でき、柄頭は両手で握れるくらいの長さがありそうだ。

 7.洛陽西郊7023墓が唯一内反りが見られ、日本列島では東大寺山中平刀、平原1号墓ほか、弥生から古墳時代前期の素環頭大刀に類似している。
中国出土の素環頭大刀



 朝鮮半島の出土例を見てみよう。
 下図でもわかるようにほぼ直刀である。

朝鮮出土の素環頭大刀


 次に山内紀嗣「東大寺山古墳と鉄刀」第180回トークサンコーカンレジュメから引く。
 半島・原三国後期/列島・弥生後期中葉から弥生終末期の出土例である。

原三国後期/弥生後期中葉〜終末期の大刀
1.鳥取・宮内1号墓第2主体 2.韓国釜山・老圃洞31号墓
3.兵庫・内場山SX10 4.韓国忠清南道・清堂洞13号墓
5.韓国釜山・老圃洞33号墓 6.韓国忠清南道・清堂洞14号墓
7.福岡・平原1号墓 8.韓国慶尚北道・玉城里34号墓
9.鳥取・宮内3号墓主体部 10.宮崎・東平下1号墓
11.韓国慶尚北道・玉城里124号墓 12.韓国慶尚南道・下岱6号墓
13.島根・宮山4号墓 14.茨城・原田北62号住居

 列島出土には、内反りもあればほぼまっすぐな例も混在しているようであるが、半島出土ではほぼまっすぐな例が多いように見受けられる。
 一方で金海の大成洞古墳群、「45号墓は、朝鮮時代の窯により大きく破壊されたが、大型木槨墓であり多数の鉄剣とともに湾曲させた環頭大刀を副葬しており、4世紀後半の首長墓になる可能性もある」(早乙女雅博『朝鮮半島の考古学』)との指摘もあり、反りをもつ大刀がないわけでもない。
 今尾氏、山内氏の図によれば半島出土の素環頭大刀は基本的にはまっすぐと言っていいし、上図の釜山出土でもほぼまっすぐであるから、大成洞出土の「湾曲した」環頭大刀は、伽耶の作刀技術なのかどうか、むしろ、倭系甲冑とともにむしろ倭国からもたらされた可能性もないわけではない。少なくとも楽浪・高句麗と言った半島の北方系の作刀技術ではないように思われる。

 以上のように見て来ると、古墳時代前期の内反りを持ち、素環頭が共づくりの素環頭大刀は、列島内の出土数からみても、上述の類似性から北部九州がもっとも蓋然性が高いと言うことができる。
 もちろん、この中に、石上神宮のフツノミタマも含まれる。


 東大寺山古墳について。

 東大寺山古墳と石上神宮は近距離にあり、東大寺山古墳および所在地としての和邇もまた、北部九州の要素を持っている。

 東大寺山古墳について、いくつかのポイントを上げると、
1.若八幡宮古墳出土の三葉環鉄刀および対馬のシゲノダン遺跡出土の把頭、および韓国出土の把頭の写真をみると、東大寺山古墳の柄頭は、三葉環の外側に一対の鳥をあしらったものと言うことができる。その一対はシゲノダンの「双獣付十字形把頭金具」にあり、韓国出土の把頭とそっくりと言っていい。
 東大寺山古墳出土の修復して付け替えられた柄頭は「対馬や福岡にみられるような遺品を総合しなければ生まれない文様」と言った森浩一の指摘は正しい。

東大寺山古墳素環頭大刀の柄頭 対馬・シゲノダン遺跡の把頭金具
韓国出土の銅製剣の把頭飾
11が福岡・若八幡宮古墳出土の三葉環頭。10が東大寺山。


2.和爾坐赤坂比古神社の祭神は、「阿田賀田須命」であるが、『新撰姓氏録』に、
・宗形朝臣
  大神朝臣同祖。吾田片隅命之後也。
・宗形君
  大国主命六世孫吾田片隅命之後也。

とあるように、吾田片隅命は北部九州の海人宗像氏の祖先である。
 同じく姓氏録に、
・和仁古
  大国主六世孫阿太賀田須命之後也。
とある。

 『先代旧事本紀』に、素盞鳥尊と天照大神との誓約によって生まれる神の系譜、その八世孫に、
・八世孫阿田賀田須命、和邇君等祖。
と書かれている。
    
 つまり、東大寺山古墳群を造営した和邇氏とは北部九州の海人、宗像氏と同族なのである。



(一)石上神宮の布都の御魂について
(二)石上神宮のフツノミタマの年代について―資料編
(三)石上神宮のフツノミタマの年代について―検討編

第二部
(一)高倉下とは何者であるか