馬の鞍峰から池木屋山―吹雪の中で (Nov.3/4, 2002)

 競馬はマニアックな世界だと思う。いろんなデータに目を通しながら展開を予想する、それが楽しいのだ。馬券を買うと言う行為はその予想に責任を持つと言うことだ。馬券を買わなければ競馬はたいして面白くない。だからと言って闇雲に買っても面白くない。そのプロセスが面白いのだ。
 僕は登山もまたマニアックな世界ではないかと思っている。地図や写真で眺めるだけではまだそれは自分のものではない。登ってはじめて自らのものとなる。ひとつ行けばまた次ぎに行きたくなる。縦走路ならば繋ぎたくなる。全縦したくなる。これはどう考えてもマニアックな世界だろう。
 僕は僕自身を山ヤだとは思っていないけれども、おそらく誰もが持っているマニアックな部分が今の僕の場合偶々山に向かっていると言うことではないか。
 ただ、競馬の予想は赤鉛筆さえあればこたつの中でできる。登山の場合、そうはいかない。

 台高縦走なんて思いもしていなかったけれど、そのきっかけになったのが9月の馬の鞍峰から大台ヶ原だったことは間違いない。明神平から池木屋までは昨年の秋、「明神21」のオフですでに歩いていた。残るは2箇所。高見山から明神平はこの台高全縦を意識してこれも9月にやった。そして最後に残ったのが今回の「馬の鞍峰から池木屋山」のコースである。

11月02日(土)
 日が暮れて大阪は時雨れた。天気予報も先週末に引き続き寒波到来を告げている。
 「おい、手袋どこやったっけ? セーターは? テルモス出しといて」
 ようやっと準備にかかる。椅子に乗って戸袋を開ける。
 「あった、あった」
 手袋、毛糸の帽子、耳バンド。
 11月に入ったばかりなのに冬の装備である。

11月03日(日)
 とんばやし駅でDOPPOさん、百さんと合流し、途中、御所の戸毛のコンビニで弁当その他。このコンビニ、駐車場はいっぱいだった。
 大迫ダムから入之波温泉を過ぎ、三之公川沿いに、馬の鞍峰登山口へ。

09:25 天候は曇り。
 「ほな行きましょか」
 「きょうは楽やで」とD氏。
 林道脇も、沢沿いも紅葉がきれいだった。百さんが先頭で快調に飛ばす。
 明神滝は水量といい、落差といい、さすがに見ごたえがある。テレビで紹介されたらしく、僕たちが引き上げる頃、老夫婦が見物に。
10:45 三之公行宮址
 前回もそうだったけれど、このあたりはなんだか暗い。
 DOPPOさん「もう少し上の沢で水を汲もうや」
 テント用の水を汲み、急登をあえいで馬の鞍峰への尾根に出る。風がきつい。ところどころの木の根には雪が残っていて、馬の鞍峰山頂が近づく頃はうっすらと粉砂糖をまぶしたようだった。
12:15
 馬の鞍峰山頂。前回は鬱蒼とした山頂だったが、落葉のせいかずいぶんスコンとしていた。風をよけて昼食。
13:45
 痩せ尾根のアップダウンを繰返して霧の平へ。
 「きょうのテン場はここでっせ」とD氏。おっとずいぶん早く着いてしまった。と言うことは明日はかなりしんどいぞ。
 テントは2張り。DOPPOさんは適地を探しに。僕は水場を確認しに谷を下りる。5分ほどで水量豊富な沢があった。
 この霧の平からほんの少し登った支稜にうまく風をよけれる平坦地がありそこで設営。お互いの出入り口を向かい合わせて上に屋根をつける。
 
 百さん、きょうは焼酎にチャレンジなんて書いていたけれど、実は下戸なんだそうである。いつだったか上六で飲んだことがあるが、その時は気がつかなかった。きっと自分が飲むのに忙しく、すでに酔っていたからだろう。
 あの体格、あの強面だから幾らでも飲める人だとずっと思っていた。もっとも体格と顔つきで酒は飲まないけれども。ずいぶん話好きな人だから酒の席でも違和感を感じなかったのかもしれない。
 明るいうちからお湯割りで飲み始める。テントの中はコンロを焚くから暖かい。風の音は相変わらずだ。時折テントを叩くのは霰だったか。
 DOPPOさんは「神の河」。
 僕は「百年の宴」。
 晩御飯は具を多めにしてうどん。そのあとご飯を雑炊ふうにして食べた。
 百さんは禁煙したそうである。テントから半ば顔を外に出しながら話をするのだけれど、煙の出口でお気の毒でございました。
 
11月04日(月)
05:30 起床。風は相変わらず。テントには雪。朝日が昇る。
06:30 手袋、耳バンド、毛糸の帽子。ザックには雨具とお茶。ほぼ空身状態で出発。
 左からの風が頬を叩く。雪まじりである。
 先行のDOPPOさん、風裏を探し一本。晴れたり曇ったりの空模様である。
 雪のついた痩せ尾根は緊張するし、急登もまた滑りやすい。雪の下が木の根なのか岩なのかわからない。空身なのが何よりの救いである。
07:50 弥次平峰
 ここから先は比較的穏やかな尾根だったが吹雪はいっそう強まった。左の頬に刺すような痛みの中、後から振り返ってみると僕は無我夢中で歩いていたように思う。帰りの時間のこともあったけれど、強風で適当な休む場所もない。休めば体を冷やすだけだ。
 大黒尾根からホウキガ峰、その奥に端正な池木屋山が見える。
 まだまだ時間がかかりそうな感じだったが歩いてみると存外早かった。
09:00 ホウキガ峰
 いったん下ってふうふう言いながら登り返す。
 「これ登ったところが池木屋や」とD氏。

09:25 池木屋山
 「えっ? ここ? ふうっ。なんとか予定時間に来れましたね」
 ここもまた落葉しきっていて、今までの印象と違ったがもちろん記憶にある。ついに台高縦走完了だ。
 「小屋池へ行ってみましょう」
 北斜面はさらに雪がついていて、小屋池もほとんどが雪に覆われていた。空はまさしく冬のどんよりとした雲に覆われている。










 

 

 山頂へ引き返し記念写真。手足の指先がまた冷たくなってくる。縦走完了とは言え、下山するまでは気を抜けない。吹雪の中を歩かなければならないのだ。
 今度は右頬が針を刺すように痛い。右半身に雪がつく。セーターの上から雨具を着けようかとも思ったけれど、さいわい風も通さなかったし、中まで濡れることもなかった。
 DOPPOさんに話しかけようにも口の周りが半ば硬直していてうまくしゃべれない。僕は口の周りをウニュウニュさせながら歩いた。
 道は尾根伝いだがところどころに支稜があり迷いそうになる。じっと周りを見てテープを探す。
 
12:15 テント場着。復路は約2時間半だった。
 そそくさと中へ靴のまま入り込みお湯を沸かしラーメンをすする。
 体が温もったのも束の間、撤収する頃は再び指先がかじかんだ。
 「なんでこんなことしてるんやろ?」
 雪に濡れた指先は冷たく息を吹きかけてもちっとも温もらなかった。
 ペグをしまい、テントを畳む。
 再び手袋をする。

13:20 テント場発。下山。
14:15 馬の鞍峰
14:55 稜線からかくし平への分岐。
 ここまで来るともう風の心配はない。急斜面を滑りそうになりながら下る。
15:15 三之公行宮址。
 ここで一本。
 郭「ふう。寒かったですね。いまから考えれば無我夢中で歩いとったような気がしますわ」
 D「夢遊病者のように歩いとったで」
16:15 登山口着
 見上げると山の上には日が射している。
 「なんやあ。山の上は晴れてきたでぇ〜」














 「五色の湯」では、「もう湯舟を掃除してますから」。
 「山鳩の湯」では、「五時までやねん」「三人やけど、すぐ上がるし」「ごめんなぁ」
 中荘温泉では、DOPPOさんに掛け合ってもらうと、「受付は五時半までやけど、六時までに上がってもろたらええから」と。時刻は5時38分。
 ちょっと熱く感じた湯舟でじわっと体がほぐれ温もっていった。

 もし単独だったらどうだったろう? 吹雪の中、行けただろうか? 
 


DOPPOさん
No,347 馬の鞍峰から池木屋山へ
冬到来の霧の平で泊まる(台高中部)





台高縦走の軌跡
伸びやかな台高の秋―明神平から池木屋山へ (Oct.13/14, 2001)
馬の鞍峰から大台ヶ原 (Sept.14/16, 2002)
高見山から明神平(Sept.21/22,2002)