初めてのビバーク―狼平は遠かった (Jan.2/3, 2006)

 僕が始めて雪の弥山を経験したのは、2001年1月13日/14日だった。さらさらの新雪。天川川合から取り付き、雪こそ多く、夏道の記憶の不明瞭さを痛感したものの、まだ、その夏道どおりに歩け、しかも弥山の避難小屋まで行けたのである。ただし、翌日雪はさらに降り積もり、八剣への鞍部に下りかけるとずいぶん潜ったがそれでも足が地面に着いてない感じがした。その時は、八剣は断念。頬を刺す寒さが思い出される。

 二度目は、2004年3月14日。熊渡から登った。雪はかなり締まっていて、弥山山頂近くになると気温も上がり、アイゼンには雪団子ができた。吊尾根を通って八剣まで、日帰りで行けたのである。

 三度目は、2005年2月11日/12日。このときは天川川合から。存外雪は締まっていた。栃尾辻から尾根の左の巻道に従い、p1518は、いったんは巻道にトレースを付けかけたが、急斜面のトラバースにはさすがに危なく思われ尾根に乗った。頂仙岳の巻道には熊渡から登られた山童子さんたちのトレースがあり、それに従った。
 翌日は紺碧の空に真っ白の樹氷だった。


 今回が四度目である。

天川川合から陣の峯を登り林道へ

 かなりの、今までにない雪だった。
 天川川合から陣の峯に取り付き、いったん林道に出合うが、その林道の雪も風によるものか幾つもの波のような盛り上がりがあちこちにあり、DOPPOさん、せきやん、タンタンさんはスノーシューを履く。僕はワカンを履いた。スノーシューの威力絶大。ワカンは潜るときは潜る。いやになるぐらい雪と格闘した。
 この時点で今までにない雪の量を実感した。

 栃尾辻に上がると雪はさらに増えた。雪質はと言うと、さらさらの新雪でもなければ、締まってもいない。重くはなかった。天候は曇り。さいわい風がなかったのがありがたかったが、昼ごはんを食べる間に脱いだ手袋はすぐに凍りついた。
 トレースは尾根に向かって左の巻道ではなく、尾根通しに付いている。どのあたりにその巻道が付いているのかさえ判然としないほどの雪だったのだ。 

p1518

 p1518についても然り。ここも尾根通し。と言うことは頂仙岳も登ることになりそう。じじつ、登らざるを得なかった。ところどころで足を取られ雪の中で転がりながら何度も起き上がらざるを得なかった。スノーシューとの潜り方の差は歴然としている。しかもこの頂仙岳の登りはきつい。能書きをあれこれと考える余裕もなく、ただただ足を前に出すことだけに神経を集中させることになった。曇り空ながら徐々にその面積が増えてくるとピークも近くなる。やっと頂仙岳山頂。好天であれば、ここからの北側の展望もいいのだが。
 だけど、ようようの安心感だった。きょうはもう登らなくて済む。あとは下るだけである。
 急斜面を下り終えると、平坦な高崎横手だが、トレースは雪で垂れ下がった木の枝を避けたのか、いったん日裏山側の斜面に出て再び夏道に戻っていた。それも今までにないことだった。

高崎横手 日裏山への分岐

16:25 高崎横手最高点。日裏山から明星への分岐点。
 雪がなければ狼平まで20分くらいだろうか。あとわずかだ。徐々に下りながらほぼ平行に巻く。
 すると先行のトレースはある地点からがくんと下っている。T氏が途中で待っていて、D氏、S氏は先を探索中のようであるが、「これはちがうね。登り返した方がいい」と言うことになり二人が戻って来るのを待ってさらに上へ登り返す。途中で単独の先行者がビバーク。彼もずいぶん迷ったことだろう。

眠れる森の・・・
頂仙岳


 さらに斜面を直登するとようよう見覚えのある狼平への道に出た。出たと言ってもしっかりの雪と雪の重みで垂れ下がった枝が行く手を阻む。距離的にはあとわずかとは言え、この雪の中、所要時間の目算が立たない。さいわいにも絶好のビバークポイントのようである。衆議一決。雪洞を掘り、屋根を付け、マットを敷いた。四人が足を投げ出すには狭すぎる。「狼平で」と用意した酒、食料のごくわずかを口にしてシュラフにくるまった。
 壁に背をもたせかけあぐらをかいて目をつぶる。風も入れば壁の雪も落ちてくるけれど不思議とよく眠れた。
 夜中、あぐら状態が辛抱たまらず、足を伸ばしたくなった。小用もあり外へ出る。
 そうこうしながら朝を迎えた。外に出したザックそのほかのいっさいがカチンコチンに凍っている。
 さいわい雪はわずかにパラッと降った程度のようである。
 不自由な冷たさのなかで撤収、引き返すことにした。そうこうするうちに昨日の単独の若者が来た。彼はさらに先へ進むようである。
 高崎横手まで10分ほどではなかったか。
 このわずかの距離をきのうはさまよったのだ。

 復路も昨日と同じく頂仙岳に登り、p1518も登り、尾根通しで引き返した。
 風が出ると頬を突き刺すような冷たさだった。
 ただでさえロングコースなのに、ずいぶんとおまけがついてしまった。
 狼平までも行けなかったが、かつてないほどの雪と、ビバークの経験、スノーシューの威力、などなど収穫もまた少なくなかった、2006年の僕たちの山開きだった。
 いや、開くまでには至らなかったけれども。(^O^)



DOPPOさん:No.471 正月大峰山行―大雪に阻まれた狼平

タンタンさん:狼平の白狐