聖俗の彼岸、稲村ヶ岳 (Mar.13, 2005) |
大日山 |
だいぶ暖かくなってきたから、山の雪も締まって来ていることだろう。稲村のあの大日の根っこのトラバース、楽勝で行けるのではないか。早めに出て、稲村から山上ヶ岳へ行ってみてもよい。今から考えればじつに大胆と言おうか、能天気と言おうか。(^^ゞ
暖冬の予想ではあったが、今年の雪の多さは例年にない。
ここ数週間は周期的な天候の変動である。例年ならば雨になり、ひと雨ごとに春が近づく時期なのだが、その雨が今年はどうやら山では雪になっているようだ。
けれども、あの大日のトラバース、いくらなんでも、もう行けるだろう。
DOPPO氏、タンタン氏と4時半に集まり、「僕の車で行きましょうか。チェーン積んでますし」。たぶん着けなくて済むだろうと内心は思っていたのだ。
1月22日の明神平、林道の登りで切れてしまい、その後新調したもののまだ装着したことはない。
天川川合の交差点に着く頃からうっすらと雪になった。
「あらあら、チェーン着けましょか?」
運転はT氏。ありがたいことにいつも運転してもらっている。
「行けるところまで行ってみましょう」
川合の交差点を左折すると洞川へ向けて道は登る。
つづら折れの幾つめかのカーブ、「前はここで止まったんよね」。その同じカーブで今度もまたスリップした。
「あかんあかん、チェーン着けよう」
前のと同じパターンのチェーンなのだが、何せ初めての装着である。まだ暗いからヘッドランプを出す。取説を照らしながら心もとない。前のと違うのは滑車みたいなのが付いていてそれがどうなっているのか良くわからない。T氏が詳しく、「これをこうして」とやっとこさ装着完了である。
6時過ぎにごろごろ茶屋。数センチの積雪。雨具を着けたり靴を履き替えたりするうちに踏跡はバリバリと凍った。
薄曇りではあったが予報ではいずれ晴れそうだ。
06:25
では、行きましょう。
雪の下の岩が凍っていてツルツル滑りながら、五代松鍾乳洞を過ぎると勾配は緩やかになる。
標高1,700mを越える大峰山系の主峰群の中でも、稲村ヶ岳への道は比較的緩やかだし、随所に橋が架けられていて、山頂からの展望はいいし、交通アクセスもいい。もっともよく登られている山だと思う。
ただし、雪があると話は別だ。
2003年の1月25日。単独だったが、小屋までも行けずに敗退した。
同年の2月8日。D氏、S氏とクロモジ尾から登り、大日のあのトラバースの手前で敗退。
でも、もう3月の半ばである。くどいけれど、しっかり踏まれているだろうから、稲村までは楽勝で行けると思っていたのである。
古い記録だが、1997年の3月8,9日にテン泊で登った。その前年は4月に、昨年は3月28日に行っている。
想定外だったのは、今年の雪の多さとこれまた週末にかけての降雪である。
法力峠を過ぎ高橋横手をさくさくと雪を踏みながら進むうちに、今までならなんでもないところでもどうやって通ろうかと思案する箇所がいくつかあった。あらためて今年の雪のすごさを痛感させられる。
谷を跨ぐ橋には山側からずり落ちて凍った雪がうず高く、橋の向こうも雪で塞がれている。
「こりゃあ、あきませんわ。引き返して観音峰に行きましょうよ」と弱音を吐いたくらいである。この橋の状態がまだこれから数箇所ある。推して知るべし。
とりあえずアイゼンを履く。DOPPOさんはストックをデポし、ピッケルに替える。アイゼンを利かせようやく難所を通過。
お地蔵さんを過ぎ、次の橋が一昨年敗退したところだ。そもそも橋へ下りる道がない。ストンと切れていてどこを通っていいのやら。
D氏は高巻いて橋の向こうへ。T氏と僕は、尾根へ上がることにした。
「DOPPOさんも上がっといで〜」と叫ぶが、どうやら難所を越えられたようだ。
僕たちは急斜面をふうふう言いながら尾根に乗り、深い雪の中を登る。
ピークに出て一本。ネットから取り込んだ地図を広げる。たぶん右だがいちおう確認。次のピークから左の尾根はレンゲ辻へ、稲村小屋へは右に取るが広い尾根である。もう一度地図を出す。右の谷に近い尾根に沿った方がよさそうだ。
D氏の叫ぶ声が聞こえる。こちらもそれに応える。D氏の声が近づき程なく尾根を登る姿が見えた。あの難所を越えたものの先はやはり危なかったらしく尾根に登ったとのこと。
「いつもならすぐ尾根を選ぶのに、なんできょうは巻道にこだわりはるんやろってTさんと話してたとこですわ」
「12本爪のアイゼン履いてるからな」
ずりずりと下ると小屋が見えた。
稲村小屋 |
「うへっ」
今までにない雪の量である。
10:00 稲村小屋。
稲村はなぜかこの小屋から向こうが一段と雪が深くなるが、表面がクラストしてアイゼンのまま小気味よく歩けた。
大日へは夏道の巻道ではなく尾根に沿った。これも初めてのことである。
下る途中、大日のトラバースに一本の踏跡が見えた。
「トレースありますよ」
根っこまで来ると、そのトレースはウサギかキツネの足跡だった。
たっぷりの雪である。さて、どうする。
まずはそろっと踏み入れて足場の確認。この大日のトラバースは入口でやや下る。ここがまず緊張するところだ。右、左と順番に足を出せずに足場を確かめながら右足だけで少しずつ進む。下は固まっていてその上に週末の新雪が乗っかっている状態だろうから、行けないことはないと思っていたのだ。先行の動物の踏跡に従いつつ時間をかけて慎重に進む。大日の切り立った岩と雪の間には隙間が出来ている。出っ張った岩の下あたりもかなり緊張した。とにかくゆっくりゆっくり、足場を確かめつつ進んだ。向こう側が近づくと傾斜はやや緩やかになり、ようよう左右の足を順番に出せるようになった。早く緊張感から脱したかったのか、いくぶん急ぎ足になっていたかもしれない。
やっとこさ渡り終えてほっとする。しばらく待った後、先の偵察も兼ねて大日のキレットまで。ここで二人を待った。ここから先もかなりの雪である。こんなに雪の多い稲村は初めてだ。
「ついにやりましたなあ」
ここで一本。D氏はザックをデポし空身で登ることに。
大日キレットから尾根沿いに上がると剣のモニュメントがある。夏道だとここは通らない。 すぐ近くに下界が見渡せる絶好の展望所がある。 行場かもしれない。 |
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山頂にて | 大日キレット |
山頂へも、夏道ではなく尾根に沿う。ピッケルを刺し支点にしながら体をずり上げる。稜線に出て剣のモニュメントで一本。痩せ尾根には雪庇ができていた。これまた緊張する。
藪をくぐっているとひょっこり稲村ヶ岳山頂の展望台が見えた。
11:45 稲村ヶ岳山頂。
大日のトラバース |
展望台の下にはモジキ谷から来たと言う単独の方がおられた。
展望台に上がるが、あいにくの空模様で、何にも見えなかった。
だけどこの時期、いくつかの難所を経て頂上まで来れたのが何よりもうれしい。
同じ道をキレットまで引き返して一本。ようやくの青空だ。やっぱり日が射し、青空が見えると心が和む。安心する。雪景色を眺める目にも余裕が出てくる。
あれやこれやと、こんなところで言わなくてもいいようなことまで思い出してついつい口走ってしまう。
ザックを開けていたD氏、弁当がないと言う。
「車からは出しましたよ」
「アイゼン履いたとこで忘れて来たかなあ」
「僕のを半分あげますって。350円でどう?」
さて、あのトラバースをもう一度通らなければならない。慎重に戻ると4人のパーティが待っていた。
小屋へも同じく尾根を通った。じつは往路この途中でカメラを落としてしまったのである。残念ながら見つからなかった。
小屋に着くと窪地でご夫婦が昼食を終えられたところのようである。
僕たちはトイレ裏で風を避けて昼ごはん。日差しはあったもののかなり冷える。ザックに下げた温度計ではマイナス10℃である。
シートを敷きコンビニ弁当を出す。
「DOPPOさん、ほんまにあげるって。こんなことで一生恩に着せるようなこと言いませんって」
ザックをがさごそしていたDOPPOさん、
「あった、あった、こんなところに入れとったわ」
なんとアイゼンの箱の中に入れてはったのだ。
「うーん、ジャパネットタカタでまた10回払いで買うかなぁ〜」
「そやけど、よう落とすなぁ。首から紐でぶら下げといたらどないや」
「写真ちょうだいね」
凍った手袋を嵌め、いよいよ下山である。
「山上はこっちやで」
「あはは」
単独の方が登って来られて、夏道にもトレースが付いているようで、下りは、尾根に上がらず夏道を歩いた。氷のような雪でアイゼンがよく利いた。
ほどなく、僕たちが尾根に上がった橋に来た。橋の手前には木が横たえられ通行止めの意であろうか。
橋の向こうには鎖が露出していた。
「そうか、急斜面だからか」
往路ではまだ雪に埋もれていた。
法力峠手前には、子供を含む10人くらいのパーティである。
法力峠で先に下りて休まれているご夫婦に追いついた。
じつは不思議な出来事があったがそれには触れないでおく。
15:00 ごろごろ茶屋
駐車料金1,000円を払い、ゴロゴロ水を3L汲む。
洞川温泉で熱い湯に浸かった。
稲村ヶ岳は聖でもあり俗でもあり、どうやらいかなる評価をも受け入れむしろそれらを超えて動じない山のようである。
(写真はすべて、DOPPOさん、タンタンさん撮影のものをサイズを変更して使わせていただいた。本当にありがとうございました。ずいぶん緊張しましたけれども今回もとってもいい山行でしたね。)
DOPPOさん:No,436 冬の稲村ヶ岳