(第四章)孝徳期における伊勢・度會と尾張・熱田

 では、草薙剣はいつ熱田にもたらされたのか? 
 熱田社の創建年代をみてみよう。

■熱田神宮史料「朱鳥官符」に、
・熱田太神天降坐於尾張国愛智郡会崎松炬嶋機綾村、神本記文、夫間導、太神者去大化二年(丁未)(ママ)歳五月一日天下御座
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 熱田社の創建は大化二年五月一日と書かれているが、括弧内の干支と一年ずれている。干支をとれば大化三年のことになる。
 また、伊勢については、
■「神宮雑例集」に、
神宮雑例集巻一
度會郡。
多氣郡。
・(前略)又云、難波長柄豊前宮御世、飯野多氣度相惣一郡也。
其時多氣之有爾鳥墓(トツカ)立郡時(爾)、以己酉年始立度相郡、
以大建冠神主奈波任督造、以少山中神主針間任助造。
皆是大幡主命末葉、度會神主先祖也。
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 飯野多氣度相はもともと一郡だったのを、孝徳天皇のとき、多氣の有爾の鳥墓に郡を立て、己酉年=大化五年にはじめて度相郡を立てた。
■『皇太神宮儀式帳』に「初神郡度會多氣飯野三箇郡本記行事」
・右從纏向珠城朝廷以来、至于難波長柄豊前宮御宇天萬豊日天皇御世、
有爾鳥墓村造神[まだれ/寺](弖)、爲雜神政所仕奉(支)。
而難波朝廷天下立評給時(仁)。以十郷分(弖)。度會(乃)山田原立屯倉(弖)、新家連阿久多督領、礒連牟良助督仕奉(支)。以十郷分、竹村立屯倉、麻績連廣背督、礒部眞夜手助督仕奉(支)。
同朝廷御時(仁)、初太神宮司所稱、神[まだれ/寺]司中臣香積連須氣仕奉(支)。
是人時(仁)、度會山田原造御厨(弖)、改神[まだれ/寺](止)云名(弖)、號御厨、即號太神宮司(支)。
近江大津朝廷、天命開別天皇御代(仁)、以甲子年、小乙中久米勝麻呂(仁)、多氣郡四箇郷申割(弖)、立飯野高宮村屯倉(弖)、評督領仕奉(支)。即爲公郡之。
右元三箇郡攝一處、太神宮供奉(支)。所割分由顕如件。
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 垂仁朝以来、孝徳天皇期にかけて有爾の鳥墓にカンダチを造って神政所として仕え奉っていたが、孝徳天皇のとき評(郡のこと)を立てた時、十郷に分けて度會の山田原に屯倉を立てた。おなじく十郷を分けて竹村にも屯倉を立てた。孝徳期に初めて太神宮司と称して、カンダチ司を置いた。
 度會の山田原に御厨を造り、カンダチという名を改めて、御厨と号し、ほどなく太神宮司と号したのである。
 天智天皇のとき、多氣郡のうち四郷を分割して、飯野郡を立てた。
 おおよそこのような意味である。
 
 乙巳の変(645)以後、孝徳期の早いうちに、草薙剣を伊勢から熱田へ遷し、熱田社が創建され、伊勢・度會には大神宮司が置かれたことになる。
 草薙剣が伊勢・度會から尾張・熱田へ遷ったのが、同族間の意向によるものだったか、孝徳による政治的なものだったか? 
書紀は何も語らないし、判断しうる史料もまた持ち合わせていない。
 孝徳天皇は、生玉魂社の樹を切るなど神を軽視し仏法を尊んだと書紀は書き、難波遷都後の晩年は、中大兄皇子、姉(皇極天皇=斉明天皇)、妻の間人皇后など当時の皇室からも軽視された存在だった。
しかし、書紀に書かれた事績そのものは、「かなりまとも」であるし、仏教にも天神地祇にも礼を尽くしている。実像に近づくには、対校しうる史料がほしいところだ。
 
 草薙剣の熱田遷座が孝徳天皇によるものだとすれば、天智天皇はそれについて、反対の事を行っている。僧道行による盗難事件の後、天智天皇は草薙剣を熱田へ返さず、宮中に安置するのである。


(第五章)沙門道行による草薙剣盗難事件

■「日本書紀」
(1−1)
天智七年
・是の歳に、沙門道行、草薙剣を盗み、新羅に逃げ向く。而して中路に風雨にあひて、芒迷ひて帰る。
(1−2)
天武朱鳥元年六月
・戊寅に、天皇の病を卜ふに、草薙剣に祟れり。即日に、尾張国の熱田社に送り置く。
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 新羅僧道行による草薙剣盗難事件は何度もあったようだ。結局は天智天皇によって宮中に安置され、天武天皇によって熱田社に返還されたことになっている。
 道行は知多半島北部にある法海寺の開基とされている。「天智天皇の命によって「土楼」に籠められてしまい、改心して春日大明神を祈ることによって薬師仏を得、この薬師仏の働きで天智天皇の病が平癒したという」。(「熱田社とその信仰」『伊勢と熊野の海』所収)
 このことから森浩一は草薙剣を盗ませたのは「天皇勢力そのものであり、そのことが法海寺の建立という矛盾する事態につながっているのではなかろうか」と推定している。

 写真は、知多市の法海寺と、本堂前の由緒である。 門前の石塔には「天智天皇勅願所」とあり、本堂前の略縁起には、草薙剣盗難事件の後、新羅への帰国を断念に当地で堂宇をいとなみ、天智天皇御不例の際、祈願により平癒され、その功により、「薬王山法海寺」の勅額と寺田280町歩を賜った、とある。
 天皇勢力と言うより、天智天皇が道行に密かに依頼したと言うことだろう。

 盗難事件についての諸史料を以下に引くが、興味深いことに、数度にわたる盗難も一致する史料と、不一致の史料もある。また「斬刑」と記した史料もあり、何を以って事実とするか判然としがたいのである。
 (2−2)、(4)が摂津国難波、(3−3)が博多に関連するが、大阪市鶴見区の阿遅速雄神社の由緒書きと、知人からいただいたコピー(たぶん『遠賀郡誌』)にある、岡垣村 高倉神社の由緒、および古門神社の由緒によれば、難波と博多の少なくともその二度は事実と考えてもよいように思われる。(ただ、高倉神社、古門神社の二社に同様の伝承がなぜあるのかについてはいずれを正とするかは、これまた、判断しがたい)
 
■「尾張国熱田太神宮縁起」
(2−1)
・天命開別天皇七年、新羅僧沙門道行盗此剣神、為移本国、窃祈神社、所(取)剣裏袈裟、逃去伊勢国、一宿之間、脱自袈裟、還著本社、
(2−2)
・道行更亦還到、練禅祷請、又裏袈裟、逃到摂津国、自難波津解[糸覧](ともづな)帰国、海中失度、更亦漂着難波津、
乃或人詫宣云、吾是熱田剣神也、而被欺野僧、殆着新羅、初裏七条袈裟、脱出還社、後裏九条袈裟、其難解脱、于時吏民驚恠、東西認求、道行中心、作念、若棄此剣、将投[手偏弱]搦之責、即抛棄神剣、神剣不離身、道行術尽力窮、拝手自肯、遂当斬刑
■「朱鳥官符」
・然間白鳳廿年(庚申)(ママ)之歳七月十三日、大唐新羅国沙門道行、自紫雲見起、遥度数百万里波濤、神社頭出来、住無生行、法味[にすい食]受、増益威光、即被行取於三衣、而将去事両三度也、
(3−1)
最前者、従伊勢国桑名郡神三崎、帰於本処
(3−2)
第二度者、自播摩印南野出、押致於住社、
 (郭公注:第二章の形状編で引いた「播磨國風土記」讃容郡と印南野とはだいぶ離れている)
(3−3)
第三度之今度、従筑紫国墓方津、窃参入于王城之処也
■「熱田太神宮秘密百録」
(4)
・然天智天皇御代遥見紫雲立、新羅国道行聖人社頭参詣、彼神剣盗取行、然神剣失畢、彼神剣摂津国(難波浦ニテ浪ノ上一尺アカリ)国司小野道連付託宣、奉入内裏
■阿遅速雄神社 大阪市鶴見区放出東3丁目(字水剣)
御祭神
・阿遅[金且]高日子根神(迦毛大神)
・草薙御神剣御神霊(八剣大神)
(5)
八剣大神奉斎の御由緒
・天智天皇(38代)七年十一月 新羅の僧 道行尾張国熱田宮に鎮まり座す 御神剣 天叢雲剣即ち草薙御剣を盗み出し 船にて本国へ帰途 難波の津で大嵐に遇ひ流し流され 古代の大和川河口であった当地で嵐は更に激しく これ御神罰なりと御神威に恐れをなし 御剣を河中に放り出し逃げ去りたり(之が地名となり 放手=はなちて 放出=はなつて 放出=はなつてん 今「はなてん」と云ふ)後この地の里人 この御剣をお拾ひ申し上げ 大国主命の御子 阿遅[金且]高彦根神御鎮座の此の御社に合祀奉斎すること数ヶ年 後 草薙御神剣の御分霊は永遠に当御社に留まり座し 奉斎す 
■岡垣村 高倉神社
・天智天皇の御時新羅國の沙門道堯といへる者尾張熱田宮に祝ひまします草薙の剣を盗み取りて逃げんとす、
(6−1)
・初めの度は熱田社の扉を出る時村雲おほひ之れをとどむ、
(6−2)
・其後又盗み取りて逃行きしが近江國に至りて村雲覆ひ之れを奪へり、此時道堯彼剣を取返さんと西より東へ追行しかども取返す事能はず、其追ひそめし所を名付おひそと云ふ老曾の森ある所是なり。
(6−3)
・又盗み取つて筑紫博多まで下りしが又取返されぬ。此時都より官使来りて此寶剣を受取りにまゐる間清浄の地に置かるべしと議せられけるに、當社古来の霊場にて特に堅固の地なればとて神殿の内に籠め置き奉りける、程なく勅使来りて之を守護し、又本の宮に納め奉る。天皇之れを聞召又彼道堯が如き盗人ありて取汚す事もやあらむと御心憂く思召、或鍛工に命じ彼剣と同じ様なる剣七振作らせ玉ひ別殿を建てて八ノ剣を納め玉ふ八剣宮是なり。(神道はふかく八の数を尊むいはれあり、故に七振の剣を作らせ玉ひ合せて八剣宮と云へる也。)此時より熱田宮には日本武尊を本社に祭り玉ふ。右の如く暫く當社に彼剣を籠置玉ひしより熱田に倣ひて俗説には當社をも八剣宮と申し奉るなり。
■ 古物神社(鞍手郡鞍手町)『日本の神々1.九州』
(6−4)
・さて、古物神社の名は、同社に古くから祀られていた剣神社に由来する。
 同社縁起によると、かつて尾張の熱田神宮に祀られていた神剣、草薙剣が盗難にあったとき、剣が空に舞い上がり、この古門の地に墜ち、剣が光を放って数里を照らした。人々がおどろいて近づいてみると神剣であったので、相談してこれを小祠に納めておいた。やがてこのことが朝廷に伝わり、剣は熱田神宮にもどされたが、剣霊はなおこの地に留まっていた。それで、石上布留の大神の御座所であるところから、この地を布留毛能村となづけたという。



第一章 天照大神と素戔嗚神話
第二章 草薙剣の形状と語意
第三章 草奈伎神社―標剣としての草薙剣

第六章 遠賀とヤマトタケル
(付)安徳天皇入水事件