(第六章) whyとhow

 雄略天皇の宮「泊瀬朝倉宮」は初瀬にあった。桜井市黒崎の脇本遺跡が有力である。三輪山の南麓である。その東に「磯城の厳橿の本」がある。雄略はなぜ、天照大神を伊勢へ遷したのか?
 一方で、三輪山に大物主神を祀らせるのである。
 天照大神とは、本HPの「住吉大社と八咫鏡」でも書いたように、「福岡県前原市にある平原遺跡(平原1号墓)から出土した径46.5cmの八葉座の超大型内行花文鏡」のことである。平原1号墓の被葬者は耳[王當]が出土したことから女性であり、豪華で大量の副葬品から王墓、つまり女王墓と考えられる。
 この鏡を奉斎することとは、彼等の出自のエビデンスであったろう。
 この鏡が大和を経由して伊勢に祀られたと言うことは、この鏡を奉斎して、東進した勢力がいたことを示している。
 この鏡を集結の象徴とした勢力がいた。それが神武や応神に代表される勢力であった。

 神功皇后紀、百済からの使者が、
・七枝刀一口、七子鏡一面と種々の重宝とを献る。
 銘文には泰和四年(369年)と記されている。古事記応神天皇条には、
・百済の国主照古王、牡馬壱匹・牝馬壱匹をもちて、阿知吉師に付けて貢上りき。また、横刀また大鏡を貢上りき。
 七枝刀と横刀が同一のものかどうかは不明であるが、照古王とは近肖古王のこととされ、在位346〜375年の人である。神武も応神も年代が重なり、それは四世紀後半のこととしなければならない。四世紀後半に平原の超大型内行花文鏡に由来する八咫鏡を奉じて東進した北部九州勢力がいたのである。

 以下、ひとつのストーリーだが、五世紀後半、雄略の時代になって、おそらくその北部九州勢力も衰退した時期があったのかもしれない。雄略にとって八咫鏡が近くの初瀬にあることは、北部九州勢力の再結集の契機にもなりかねない不穏の種であったことだろう。
 西の紀ノ川河口付近には、日像鏡を祀る日前・国懸宮があるから東の伊勢にお遷りいただいて、表向きとしては、東西の鎮めの役割を担わせた、内面では遠ざけることによって北部九州勢力の再結集の種を取り除く意味もあったのではないか。
 度會から見ても、天照大神の遷座はwelcomeであったことは、(第三章の二)で書いたとおりである。
 一方で、既述のように、三輪山には系譜としては高皇産霊尊系の娘を娶った大物主神を祀らせるのであるから、雄略とは八咫鏡に繋がらない系譜にあった大王ではなかったか。 八咫鏡(天照大神)に繋がらない系譜としての大王、雄略は高皇産霊尊系ではなかったか?
 whyとhowについては、今のところ残念ながら「考えられるストーリー」としてしか提示できないところである。

 書紀は天照大神だけではなく、高皇産霊尊もまた皇祖と記す。
神代紀
・天照大神の子正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高皇産霊尊の女栲幡千千姫を娶り、天津彦彦火瓊瓊杵尊を生みたまふ。故、皇祖高皇産霊尊、特に憐愛を鍾めて崇養したまふ。

顕宗紀
・是に月神、人に著りて謂りて曰はく、「我が祖高皇産霊、預ひて天地を鎔造せる功有します。(以下略)」
 「鎔造」という言葉から、この神は金属器に関わる神のようでもある。陶荒田神社の祭神から考えると伽耶出自の神のようでもある。伽耶は鉄の産地でもある。

 一衣帯水の半島南部(高皇産霊尊系)と北部九州(天照大神系)、それぞれの勢力が協調し四世紀後半東進し、五世紀後半には反目の時代がありつつ列島の支配構造の中で大王(天皇)と言われる地位に昇っていった、と言うことではあるまいか。
 この視点に立ったとき、後の継体擁立が応神五世孫の名目であったこと、天武がクーデターで皇位を簒奪し、彼自身が皇祖として天照大神を重要視したことの意味もまた見えてくるように思われる。つまり、天照系の復活ではなかったか。
 必ずしも対立構造とは言えない二元構造としての皇祖二神、それぞれの勢力の協調と反目が綯い合わされた縄のように絡み合っていたのではなかったか。
 高皇産霊尊についてもまだまだ調べなければならないことが多く上記はもちろん推論の域を出ていない。今後の課題である。




参考文献
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『大系日本の歴史2:古墳の時代』(小学館ライブラリー)
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』江田船山古墳
『新訂魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』(岩波文庫)
内田正男編著『日本書紀暦日原典』
(Web)竜王の名所旧跡
http://www.town.ryuoh.shiga.jp/sightseeing/rekishi-meisyo.html
『風土記』(岩波書店)
(Web)国学院大学「神社史料データベース」
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/dindex.html
『萬葉集』(小学館)
『神道大系』神宮編1、2(神道大系編纂会)
『群書類従』1神祇部
邨岡良弼『日本地理志料』(臨川書店)
(Web)凡海郷異聞
http://kammuri.com/s1/ohshiama/02.htm
(Web)丹後の地名:水銀地名:女布
http://www.geocities.jp/k_saito_site/kasagun4.htm
『古事記』(新潮社)
本居宣長『古事記伝』(筑摩書房)
『国史大系7:古事記、先代旧事本紀、神道五部書』(吉川弘文館)
坂田神明宮 由緒書
水野祐『古代社会と浦島伝説 下』(雄山閣)
『伊勢の神宮百二十五社めぐり』(伊勢神宮崇敬会)
『国史大系 続日本紀』(吉川弘文館)
櫻井勝之進『伊勢神宮の祖型と展開』(国書刊行会)
岡田精司『古代王権の祭祀と神話』(塙書房)
『目で見る鳥羽・志摩の海女』(海の博物館)
伊藤常足『太宰管内志』
戸明神社 由緒書
(Web)『筑前國続風土記』
http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/fudo/head.htm
『東海の古墳風景』雄山閣
相賀八幡神社 由緒書
筑紫申真『アマテラスの誕生』(講談社学術文庫)
田村園澄『伊勢神宮の成立』(吉川弘文館)
新谷尚紀『伊勢神宮と出雲大社』(講談社選書メチエ)
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『日本の神々4:大和』(白水社)
深江稲荷神社 由緒書
田中卓『住吉大社神代記の研究』(国書刊行会)
角川日本地名大辞典24 三重県
角川日本地名大辞典30 和歌山県

安堂寺と安曇について
「油と地蔵信仰」その8(大阪の地蔵2) 
http://yoil.co.jp/a20.htm
大阪市野崎町
http://www011.upp.so-net.ne.jp/u-shirae/ujichi/nozakityou.html



第一章 whenとwho
第二章 where―どこへ
第三章の1:豊受大神
第三章の2:度會
第四章 多氣大神宮説
第五章 where―どこから